Blog Archives

お彼岸法要を終えて

 毎年秋分の日に行われる彼岸会ですが、今年はうるう年の関係で22日になり、なんとこの日になるのは116年ぶりだそうです。  昔から暑さ寒さも彼岸までと申しますが本当に涼しくなり、また台風の影響下で天候不順が続いていました

カテゴリー: 大願寺, 檀信徒

念仏生活の助け1

お経を読むこと 南無阿弥陀仏とお念仏をお称(とな)えすることは、私の力ではなく、阿弥陀様のもっとも勝れた力を頼りに救われていくものですから、本来他の難しい修行は必要ありません。 しかし、そんな強力なお念仏であっても、私た

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

信仰の型

信仰において大切なことの一つは、その型です。 例えば、車のおにぎりの型にご飯を詰めると車の形をした、おにぎりができあがります。しかし、いびつな型にご飯を詰めますと、出来上がった、おにぎりもいびつなものになってしまいます。

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

『狐憑』

今日は中島敦著『狐憑』を読みました。 ホメロスと呼ばれた盲人のマエオニデェスが、あの美しい歌どもを唱ひ出すよりずつと以前に、斯うして一人の詩人が喰はれて了つたことを、誰も知らない。 で終わるこの作品は、「人類最初の詩人の

カテゴリー: 勉強, 檀信徒, 読書

ご回向いたしましょう

今年は、法然上人が亡くなられてから八百年、大遠忌(だいおんき)の年にあたります。法然上人は、その御遺訓(ごゆいくん)の「一枚起請文」の中で、どんなに学んでも「一文不知」であると反省されております。 東日本の大震災の報道を

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

見えないのに見えている

私達は通常、視覚は一つだと思っています。しかし最近の研究で、視覚には大きく分けて二つあることがわかってきています。1 一つの視覚は私達が通常視覚と思っているものです。これは意識することができます。 しかしもう一つの視覚は

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

暗黙知

ハンガリーの哲学者マイケル・ポランニーの有名な言葉に「暗黙知」(あんもくち)があります。暗黙知とは、言葉では説明できないような知識を意味しています。たとえば、自転車の乗り方は、言葉ではとても説明できません。お父さんやお母

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

真心に阿弥陀様をお迎えしましょう

阿弥陀様は、心から信じ願って私の国(極楽)に生まれたいと欲したならば、一生涯を尽くすお念仏から十声一声のお念仏であっても、必ず往生すると誓われています。 その誓いに大安心を得て、この愚かな私を救って下さる阿弥陀様を親のよ

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

アミタ(はからいを超えた命の根源)

私達が、物を見たとき、音を聴いたとき、物がこのように見えること、音がこのように聞こえることはとても不可思議なことです。 現代科学では、目・耳と脳の働きによって、物が見え、音が聞こえると説明します。 しかし、目や耳、そして

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

不離仏・値遇仏

大願寺を開かれた浄土宗二祖にあたる聖光(鎮西)上人の『徹選択集』というお書物に 問うて曰く、念仏三昧(ねんぶつざんまい)とは何の義ぞや。 答えて曰く、念仏三昧とはこれ不離仏(ふりぶつ)の義なり。 問うて曰く、不離仏とは何

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話