大願寺を開かれた浄土宗二祖にあたる聖光(鎮西)上人の『徹選択集』というお書物に
問うて曰く、念仏三昧(ねんぶつざんまい)とは何の義ぞや。
答えて曰く、念仏三昧とはこれ不離仏(ふりぶつ)の義なり。
問うて曰く、不離仏とは何の義ぞや。
答えて曰く、不離仏とは値遇仏(ちぐうぶつ)の義なり。
問うて曰く、値遇仏とは何の義ぞや。
答えて曰く、値遇仏とは因地下位(いんじかい)の菩薩は、必ず果地上位(かじじょうい)の如来に値遇して刹那片時も仏を遠離すべからざること、譬えば、嬰児の母を離れざるがごとし。
とあります。一生懸命にお念仏を称えるということは、阿弥陀様から離れないという思いを起こすことです。
離れないという思いを起こすということはお値(あ)いしたいという思いを起こすことです。
おあいしたいという思いを起こすことは、赤ちゃんが母を離れないように、片時も離れたくないという思いを持つということです。
御先祖様、亡くなられた人の為にお念仏することも大切ですが、
この私も救って下さる阿弥陀様をお慕いしてお念仏していくことも大切なことです。
命というのは不可思議なものです。阿弥陀様をその命の親様と思い定めてお念仏していきましょう。
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