柔らかな心

信仰とはまず柔らかな心を持つことです。
「私の信じている事のみが正しい。他は正しくない」というのは柔らかな心ではありません。このような心のことを仏教では邪見・偏見といい、争いの原因になります。
私達の計らいを超えた阿弥陀様にまずは柔らかな心をもってお念仏することが大切です。そうすると更に心が柔らかくなってきます。
『無量寿経』には、お念仏をお称えしますと、「私達の身も心も柔軟になって喜びに溢れ善いことをしようという思いが生まれる」と説かれています。
死んでからではなく、現にここに生きている私達が、喜びに溢れ、争いの心から離れていく、そしてそれがまた先にお浄土に往生された方々の願いであります。
しかし私達は、いくらそのように心得てもすぐに心がひっくり返って邪見・偏見の生活に戻ってしまいます。だからこそ「念仏を実践しなくてはと心得る」だけではなくお念仏を実際に実践しなくてはなりません。そうすると心は柔らかくなるだけではなくて、丈夫になっていきます。すると私達の心はひっくり返りながらもだんだんと善い方へ善い方へと進んで行きます。これを信仰の功徳といいます。
皆様も念仏の実践の為に是非お寺にお参りこられて信仰の心を育てて下さい。

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