私達が、物を見たとき、音を聴いたとき、物がこのように見えること、音がこのように聞こえることはとても不可思議なことです。
現代科学では、目・耳と脳の働きによって、物が見え、音が聞こえると説明します。
しかし、目や耳、そして脳が働いたら、何故このように見えるのか、何故このように聞こえるのでしょうか。そしてもっとも不可思議なことは、私がこのように見たり、聞いたり、感じたりしている、この内容は他人にはわかりません。これが物質であるならば、いかなる物質なのでしょうか。いかなる精巧な検出器を用いても、いまだかつて、それを検出できたことはありません。
すべては物質であると、そのように思っている人がいます。
しかし、例えば私達が名画に心を奪われ、音楽を聴いて感動したとき、この言葉では言い尽くせない感じたものにしか分からない、この感動はいかなる物質でしょうか。
「わからない」と答えざるを得ないと思います。
この私達の量(はからい)を超えた命の根源と、それを照らす光の存在を「アミタ」といいます。これは阿弥陀様のことです。
私達が、亡くなった方々を思い、一心に真心をこめてお念仏するとき、その真心が命の根源である阿弥陀様を通して届いていき、そしてまた亡くなった方々の思いも、お念仏によって私達に届いていきます。そのように思い思われていくお念仏によって、この私がすくわれていくことも、また、阿弥陀様や亡くなった方々の思いでもあるのです。
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