阿弥陀様は、心から信じ願って私の国(極楽)に生まれたいと欲したならば、一生涯を尽くすお念仏から十声一声のお念仏であっても、必ず往生すると誓われています。
その誓いに大安心を得て、この愚かな私を救って下さる阿弥陀様を親のように思い定めて、阿弥陀様に恥じないよう、阿弥陀様に喜んでもらうように生きていくことが大切です。
十声のお念仏で救って下さるから、困ったときや臨終に十声のお念仏をお称えすれば良いというような心持ちではいけません。
そのような考えの人が多くなったので、お念仏の教えが「亡くなった人の為」だけのようになってしまいました。誠に残念なことです。
御葬式や、法要や法事も亡くなられた方の為だけに勤めているのではありません。
亡くなられた方々を思う真心を縁として、私達が、命の根源にまします阿弥陀様に繋がってくのです。
阿弥陀様は、お寺の本堂や、お仏壇の中だけの存在ではありません。私達の真心に阿弥陀様をお迎えしなければなりません。
そしてお迎えすることができたならば、私達は阿弥陀様にいつも護られていると感じることができます。
もちろん、私達は仏の子といっても(宗教的には)子供なのですから、悪いこともしてしまいますし、為すべき事を為さないこともあるでしょう。
しかし、阿弥陀様を親のように思って心にお迎えできた時、私達の心はそれだけで大きく変わっていき、大安心の中にありながら、どこまでも至らぬ私に懺悔する心が起こります。
そして南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とお称えするその真心に阿弥陀様が感応し、この私が良きに良きにと育てられていくのです。
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