お布施のこころ(その2)

「一ヶ月後に結婚式を挙げたいんです。」

結婚式の計画をたてることをお仕事としている有賀明美さんのもとに、新婦になる女性からそんな電話がありました。普通であれば、一年前や半年前くらいに予約して、ゆっくり時間をかけて計画するのですが、今回は一ヶ月後です。

わけを聞いてみると、
新婦のお父さんが、末期のガンで、お医者さまに「一ヶ月の命」と言われているので、早く結婚式をして、花嫁すがたを見せてあげたいということでした。有賀さんは、

「そういうことであれば、絶対に花嫁すがたを見ていただきましょう」とお約束いたしました。

ところがその次の日、予約をキャンセルされたのです。お医者さまから、改めて話があり、「一ヶ月の命と言いましたが、二週間しかもたないでしょう」と言われたそうなのです。
父と娘

しかし、有賀さんはあきらめませんでした。そこで、お父さんの病室で式をあげることを提案したのです。有賀さんは、会社の社長に頼みこみ、その計画を実行し、新婦も喜んでその提案を受け入れてくれたそうです。

ところが、悲しいことに、その病室での結婚式の前日、お父さんは亡くなってしまいました。

有賀さんは、
「どうして神さまはあと一日まってくれないんだろう」
と悔しい思いと、後悔の思いがつきあげてきました。
「私が余計な計画を考えたばっかりに、皆さまを傷つけてしまった。なんとおわびを言ったらいいのか・・・」

連絡をするのをためらっているそんな有賀さんのもとに、お葬式を終えた新婦から明るい声でお電話がありました。

「父親に花嫁すがたを見せることはできませんでしたが、おかげで式のために集まった親族に見守られて、父は旅立つことができました。そんなきっかけを下さった有賀さんは恩人です。」

そんな感謝の言葉をいただいたのです。私はほっぺたをぬらしながら、受話器をにぎりしめました。

電話をする娘

(つづく)

イラスト:藤富千尋

カテゴリー: 子供と一緒に, 月刊誌「ひかり」, 法話

ひかり2013年06月号

ひかり誌2013年06月号表紙

ひかり誌2013年06月号表紙

弁栄聖者 今月の御道詠

ききしより そなたに君を 恋しけれ
 我がさかむにに つかうみさほを

仏蹟参拝 牧牛女『日本の光』

05 光明会各会所年間行事
06 聖者の俤(おもかげ)其三十 中井 常次郎
08 東西霊性文化と光明主義 その1 河波 定昌
11 子供といっしょに学びましょう 40
12 感動説話「佛性」 明千山人
20 能生法話「良き時間」 辻本 光信
14 光明主義と今を生きる女性 祢次金 文子
16 光り輝く淨土への道73  山上 光俊
20 宗教における天秤  江角 弘道
22 お袖をつかんで 吉水 岳彦
   「第十三歩 亡き人と共に歩む祈りの道」
24 仏力と易行ということ その1 佐々木 有一
26 薬膳料理
28 聖者の霊筆 その8
30 写仏のすすめ
33 特別会員及び賛助会員のお願い
34 支部だより
38 清納報告
39 財団レポート・こちらひかり編集室

カテゴリー: 「ひかり」目次, 月刊誌「ひかり」

仏力と易行ということ ─無礙光の序説として─  その1

関東支部会員 佐々木 有一

一、龍樹菩薩の信仰

何かの機縁で念仏に関心をもち念仏の本を読みはじめますと最初に出会うのは易行道と難行道、他力と自力、浄土門と聖道門といった区別であります。それぞれ龍樹、曇鸞、道綽がその提唱者だとも教わります。その中で易行というところに目がとまり安心させてくれます。そして法然上人は「聖道門は智慧を極めて生死を離れ、浄土門は愚痴に還りて極楽に生ず」といわれました。江戸時代の義山(1647~1717)は愚痴に還るとは「迷い深く心暗かれというには非ず、智慧をも才覚をも加えず物立てず、ただ願力に身を任すをいう」と注釈しています。愚痴に還ると聞いて現代の人間はなんとなく落ち着かぬ心地がしていましたが、義山の説明を聞くとなるほどそういう意味なら納得できると考えます。

さてその易行道といわれて安心なわけでありますが、それを言い出した龍樹は一体どういう意味で使っているのか、どういう文脈の中で言っているのでしょうか。龍樹はインドの人、生歿は150年頃~250年頃とされ、中観派の祖として大乗仏教を体系化した人、中国・日本では八宗の祖とも仰がれる菩薩であります。仏教の根本思想は縁起であり、それは不生不滅・不断不常・不一不異・不来不去の八不中道であることを『中論』によって明らかにし、さらに真俗二諦を貫くものを空性とし、また独自の言語哲学を確立したとも評されています。大品般若経に詳細な註を加えて一種の仏教百科辞典ともなっている『大智度論』も仏教界の貴重な財産です。

龍樹の学問的業績は総じていわゆる聖道門的でありますが、その一方で『十住毘婆沙論』という書物も著し、一般には『十地経』(華厳経十地品の原型、入法界品と並び華厳経の柱)の論釈とされています。十七巻三十五品の構成です。画期的なのはその第九章に「易行品」という章を立て、諸仏の称名、憶念、なかでも阿弥陀仏への帰依を明らかにするなど無量寿経を踏まえていることが注目されます。筆者には、この書は結局龍樹個人の信仰告白の書ではないかと思えてなりません。鳩摩羅什によるこの書の漢訳本には十地のうち初地と二地の一部までしか記述がないうえ、十地経には無い内容が、肝心の易行品を初め中心的位置を占めており、また毘婆沙という言葉自体が「広説」「勝説」とか訳されるそうですが、単なる解釈というよりも模索しながら何かを突き止めていくようなニュアンスが秘められているのではなかろうかと、語学的知識はありませんがそのように感じられるのです。

菩提心を発すについても、仏の力によらなければ不退転の力を得られないということを強調しており、釈尊さえも如来の力によって発願したと述べています。ジャータカ・本生経によれば遠い遠い過去世において燃灯仏(錠光仏ともいう)がお通りになるのに出会った釈尊の前身の青年が、みずからの長い髪の毛を泥土に敷いてその上をお通りくださるように申し上げます。その心中には自分もこのようなお方になりたいものとの願いを懐いておりましたところ、如来はその心をお知りになり、青年に汝は未来において成仏するであろうと授記された説話があります。青年はそうして発願して以降、長い間にわたって諸種の修行の功徳を積み、やがて阿惟越致地(十地のうちの初地、歓喜地、不退転地ともいう)に入るわけです。このように釈尊はいわゆる無師独悟ではなく、燃灯仏に値遇するという仏力によって成仏されたことになりますが、『十住毘婆沙論』は発願して後も仏力によらなければ初地にはきわめて入りにくく、その仏力によるとは結局諸仏や阿弥陀仏の名を称し、憶念することが捷径であり、故に易行であると主張しています。

弁栄聖者の十二光体系における無礙光は、

  如来無礙の光明は  神聖正義恩寵の
  霊徳不思議の力にて  衆生を解脱し自由とす

という讃で礼拝されますが、まさに仏の用大、おはたらき、すなわち仏力の役割を果たす光明であります。

『十住毘婆沙論』ではどのような意味合いで仏力の重要性を説いているのか、またそれを仰ぎいただく捷径ともいうべき易行とはどのようなものと考えられているのか、その辺のさわりを味読しながら紹介してまいりたいと思います。

なおテキストは矢吹慶輝訳『国訳一切経釈経論部第七』を基本にしています。矢吹慶輝博士(1879~1939)は宗教大学(現大正大学)教授、「三階教之研究」で学士院恩賜賞受賞、また拙稿では後述のように細川巌氏の講義本の現代語訳も参照しています。

(つづく)

カテゴリー: 佐々木有一氏, 月刊誌「ひかり」

弁栄聖者の俤(おもかげ)30

◇〈弁栄聖者ご法話〉聞き書き その二(授戒会の説教)〈つづき〉

三聚浄戒は父の憲法であって、神聖、正義に当り、念仏は母の愛にて、恩寵に当る。我等の本性は法身より受けたものであるが、罪のために、報身の如来に会われない。儒教では、本性を明徳といっている。

大み親は報身仏である。吾等は徳なく、心は空である。報身仏より徳を受けて円満になる。この徳を無漏善という。これに対して、娑婆の善を有漏善という。有漏善は、ロウソクの如く、消えて、再び用いられない。

大み親の子として、吾々は皆、兄弟である。人を他人と思わぬ故に、人からも慕はれる。信仰が進めば、他人が少なくなる。

南無と申して、自分の汚れた心を如来様にささげると、その代わりに徳を与えて下さる。徳本上人は、

  鬼も蛇も皆出よでよとせめ出して
    住ませておけよ阿弥陀ほとけを

と歌われた。

良心は人の行為を正しく導き、悪い心をとがめる大切なものであるが、未だ信頼するに足らぬ。良心に絶対的価値なし。良心は、風俗や習慣により異なるものである。印度人は片はだ〈肌〉を露わして恭礼し、西洋人は乳房を見せるのを恥じる。

正見は絶対的に信用できるものである。正見の持主を覚者という。如来は何故、吾等を完全なものとして生んでくれなかったか。それは可愛子に旅をさせよ、という親心からである。苦しみが大なれば、楽しみも亦大きい。

この世界で、心を磨くのである。極楽には悪が無いから、修行がしにくい。それで、娑婆の一日一夜の修行は、極楽で百歳するにまさると経に出ている。

天の月日も、地の草木も皆、仏戒を守っている。人体の諸機関もこの戒を守らねば不幸になる。太陽が怠け者のように遊び、規則正しく働かぬならば、米が定期にできず、生物は困るであろう。
 
▽一、摂律儀戒  これに十重禁戒あり。

威儀戒というは行住坐臥に姿勢を正しくする事である。極楽に生まれて菩薩になれば、八万四千の威儀が保たれる。これらを犯しても、罪は軽い。今は是等をいわぬ。

十重禁戒は信仰の尺度である。又、心の鏡と見てよろしい。この戒を犯せば、死刑に相当する位に重く見られる。
  一、快意殺生戒
  二、不与取戒
  三、不邪淫戒
  四、酤酒戒
  五、妄語戒
  六、説四衆過戒
  七、自讃毀他戒
  八、慳貪不与戒
  九、瞋不受悔戒
  十、邪見謗法戒

 (つづく)

カテゴリー: 弁栄聖者の俤, 月刊誌「ひかり」

お布施のこころ(その1)

お布施とは何か相手のためにしてあげることを言います
物をあげることもお布施
そして、お金をあげるのもお布施
でもそれだけがお布施じゃないんだなぁー

電車やバスで席をゆずってあげるのも
友だちが幸せなときに
いっしょにニコニコ笑うのも

友だちが悲しんでいるときに
いっしょに悲しんで
やさしい言葉をかけてあげるのも

お父さん、お母さんの手伝いをするのも
こうやって、仏さまの教えをみんなに伝えるのも

お布施なんだなぁー

カテゴリー: 子供と一緒に, 月刊誌「ひかり」, 法話

第4版 カールソン神経科学テキスト 脳と行動

『カールソン神経科学テキスト 脳と行動』の第4版が丸善から出版されました。
今回の改訂においても、新しい研究成果等が追加されていていました。
たとえば、11章に、「顔面筋へのボトックス治療が気分に及ぼす影響」(p400)について書かれているのですが、

負の情動と関連するしかめ面という表情の大部分は皺眉筋1の収縮により生じる.彼等は,皺眉筋に Botox 2を注入した人々は他の種類の美容的処置を受けた人々に比べ負の気分を示すことが有意に少ないことを見いだした.この結果は,本小節の最初に述べた結果と同じように,表情からのフィードバックはその人自身の気分に影響を及ぼすことを示唆している.

とあります。
これだけでも非常に興味深いのですが、この後がすごい。p401に、乳児が成人の表情を模倣する写真が記載されているのですが、それぞれ「幸福そうな顔」「悲しみの顔」「驚きの顔」です。それを説明した本文に、

あなたは,これらの写真を少しも表情を変えずに見ることができるだろうか

と書かれていたのです。
驚くことに、読者であるこの私も、「幸福そうな顔」「悲しみの顔」「驚きの顔」の表情に対して、それぞれ別の顔面筋が反応しているのが実感できたのでした。

仏教に「和顔愛語」とあり、光明標語にも、

いつもニコニコ明るい笑顔
いつもイソイソ働く手足
いつもハキハキやさしい言葉

とありますが、
和やかな顔、明るい笑顔は自らの情動を良いほうに導くだけではなく、それを見ている他者をも良いほうに利するはたらきがあるということなのではないでしょうか。

  1. 【皺眉筋】しゅうびきん  []
  2. Botox ボツリヌストキシン 慢性的な筋収縮によって生じる皮膚の小ジワを取る事等に使われる []
カテゴリー: 勉強, 読書

東西霊性文化と光明主義

弁栄聖者の光明主義は新しい時代を開く宗教であります。しかしながら、その宗教は決してただ単なる未来に向かっての新しいだけの、いわゆるダーウィンやマルクス等にみられるような進化論的な宗教にとどまるものではありません。同時にそれは法然上人に還り、釈尊に還り、そしてその釈尊ご自身さえもそこから出現してきた根源たる阿弥陀仏自身に還ることによる、そこからの限りなく新しい精神の地平の展開を意味するものでした。

このような光明主義はアルケー1たる阿弥陀仏に連なる点で《深》なる宗教であると共に、また未来に向かって限りなく展開する《新》なる宗教でもあります。このように深にして新なるところに光明主義の何よりもの特色があります。

ところでかかる光明主義が成立した20世紀は東西の宗教、すなわち大乗仏教とキリスト教とが始めて全面的に出会った時代でもありました。イギリスの歴史学者A・トインビーはこの両宗教の出会いが千年に一度とも云えるほどの人類の精神史上における壮大な出来事であり、まさにそれが20世紀であったとしているのであります。

そしてその出会いは大乗仏教の側においては幕末から明治・大正にかけて活躍された弁栄聖者において遂行され、実現せられてゆきました。そして聖者におけるその決定的な契機となったのが、大乗仏教における仏性、如来蔵の思想が「霊性」という言葉によって新しく展開されてゆく、まさにその点でした。弁栄聖者の場合、一つの文章の中に仏性や如来蔵等の用語が霊性という言葉と併説して述べられているケースも少なくありません。そして仏性、如来蔵の語が霊性という用語で、伝統的日本的霊性、すなわち弥生的(稲作的)、そして縄文的霊性に連なり、他方またヨーロッパの宗教たるキリスト教とも限りなく開かれた地平が展開されてゆくことになったのです。そのことは、伝統的な視点から云えば、たとえば霊性という用語がなくても、その豊かな展開の一例として芭蕉の有名な句、すなわち、

  あら尊と 青葉若葉に 日の光

にもみることができます。短い語句ですが、そこには「あら尊と」にどこまでも奥深い霊性の発動がみられます。それはまた同様に弁栄聖者の道詠、すなわち、

  奥ふかき心にのみと思ひしに
    庭の花さへさとりひらきつ

(『道詠集』20頁)

にもみることができます。ここには聖者の霊性と大自然との間の霊的な感応道交があり、霊性の展開がみられます。

このように弁栄聖者は伝統的な仏性、如来蔵を霊性という言葉に転換することにより、日本の伝統宗教との開かれた地平が豊かに顕れていったのであります。その点で、日本精神史を改めて日本霊性史への展望で語ることもできるようになりました。それまでの日本の思想史は殆ど唯物論的な経済史や政治史等の域を出ぬものでした。聖者のただ一つの用語の転換が日本精神史の霊性史としての深まりの決定的な要因となっていることが考えられます。

しかしながら他方、弁栄聖者における仏性、如来蔵の用語から霊性の言葉への転換には、20世紀における東西両宗教の出会いなくしては考えられぬことでした。

それは弁栄聖者が若年時より『新約聖書』やキリスト教とも親しまれており、イエス・キリストやパウロの手紙等に触れられていたことが考えられます。そして、仏性霊性そのものがキリストやパウロの経験の中にも躍動していることに気づかれ、個々における聖霊体験等が必然的に仏性、如来蔵を霊性ということばに転換せしめていったことが考えられるのです。

霊性を意味する英語spirituality の語源はラテン語のspiritualitas 、更にさかのぼってギリシア語のpneuma(霊)にゆきつきます(『新約聖書』はギリシア語で書かれていました)。そしてイエス・キリストもまたパウロも「聖の現臨」spiritual Presence , Gegenwart des göettlichen Geistes を経験し、それに圧倒されていたのでした。そして実に弁栄聖者もキリストやパウロを通じてはたらいている霊そのものに触れられ、そこから二千年にわたる大乗仏教の仏性、如来蔵が霊性ということばに転換せられ、そのことによって大乗仏教とキリストというそれぞれに異なった宗教との間の連継性ないし同一性が目覚めていったのです。今や人類は地球的、否宇宙的な地平でみる時、大乗仏教もキリスト教もただ一つの真理の異なった展開にすぎなかったことに気づかれるようになっていったのです。そこには弁栄聖者が「天に在ます父なる神」(キリスト教)と阿弥陀仏とは「同体の異名」と述べられている点からも明確であります。(『無量光寿』参照)。このように二十世紀という時代が光明主義という東西文化を超えた普遍宗教を展開せしめていく時代になったのです。

このような方向への努力は鈴木大拙の『日本的霊性』にもみられることができます。彼の日本的霊性は鎌倉仏教を核として思考していったものですが、そこにも彼の二十世紀を生きた人間として霊性の普遍性への思惟がみられます。たとえば彼は『日本的霊性』において、

宗教意識の覚醒は霊性の覚醒であり、それはまた精神それ自体が、その根源において動き始めたということになる。……霊性は、それゆえに普遍性をもっていて、どこの民族に限られたというわけのものでもない。漢民族の霊性もヨーロッパ諸民族の霊性も、日本民族の霊性も、霊性である限り、変わったものであってはならぬ

(同書20頁)

と述べています。

その同じ動向は日本宗教、あるいは京都学派の宗教哲学等にふれてキリスト教の側からも起こってきました。その一例として、たとえばP・ティリッヒ Paul Tillich(1886-1965)を挙げることができます。彼はドイツ生まれのアメリカのプロテスタント神学者でした。彼は晩年、「霊性の宗教」2という新しい神学の構想を明確に打ち出し、「霊性」というキイワードから宗教の世界へアプローチしてゆきました。彼によると神の現臨 spiritual presence(弁栄聖者の『礼拝儀』では「今、現に此処に在ます」に対応)とは、「人間の霊性」が神(究極的なもの)によって捉えられることであり、その神の霊 the devine Spirit の衝撃によって「人間の霊性」the human spirit が変化してゆくことであります。3そしてティリッヒはここで、今までキリスト教では余り注目されなかった人間の隠れた能力である「霊性」の存在を明確に語っているのであります。

現在、霊性がスピリチュアリティと呼ばれ、人間の優れた能力として世界的に注目されつつありますが、最晩年のティリッヒはそれを自己のキリスト教神学の中に位置づけるだけでなく、宗教の普遍性を基礎づけようと試みている点で弁栄聖者の光明主義とどこまでも連なりあっていることが考えられます。そしてこのようなプロテスタント神学者の最晩年における東洋宗教との出会いが、キリスト教世界においても、新しい「霊性の宗教」への思惟を展開せしめてゆくことになったのです。

なお「霊性」という言葉はパウロの「霊の人」4等に躍動してはたらいているのですが、中世には「霊性」spiritualitas という言葉は「聖職者」に関しての言葉でありました。そしてこの「霊性」の言葉は19世紀末から20世紀初頭まで、キリスト教神学の領域から消えてしまっていたのです。しかしながら、二十世紀になって、この霊性という言葉は今や徐々に現れてきたのですが、そしてそれが次第に支配的となり、ティリッヒに及んでいる、ということも云えるでしょう。そしてそれは更に、異なったキリスト教の伝統の境界をも超えて、しばしばエキュメニカルな発展の手段となる内省の領域となりました。それは仏教やキリスト教等の宗派を超えた、対話によるより幅広いエキュメニズム(教会一致運動)へとさらに広がっていったのです。そして霊性の宗教としての光明主義も改めてこのような広大な人類の宗教史の中で深く捉えられるべきでありましょう。

以上

 

  1. 【アルケーarkhē】
    万物の、そして私自身の根源。紀元前六二四頃~五四六頃のギリシャ最初の哲学者のタレス等において登場してきた言葉。 []
  2. ティリッヒの「霊性の宗教」については、石浜弘道『霊性の宗教』(北樹出版)、P・シュルドレイク『キリスト教霊性の歴史』(教文館)等を参照した。 []
  3. 『組織神学』第Ⅲ卷1963年、112頁。 []
  4. コリント人への第一の手紙第2章14節~15節 []
カテゴリー: 上首法話, 月刊誌「ひかり」, 法話

すべてが売り物となる社会に対する懸念

マイケル・サンデル著『それをお金で買いますか–市場主義の限界』
によると、すべてが売り物となる社会に向かっていることを心配する理由として2つをあげています。

1つは不平等にかかわるもの、もう1つは腐敗にかかわるものだ。(p.19)

「不平等」というのは確かにその通りだと思います。しかし「腐敗」という理由には衝撃を受けました。
そして、現代人の宗教離れの要因は(もちろんその多くは僧侶の側に責があるにしても)、様々な仏事に市場主義が侵食していることが1つの大きな原因であると感じました。

この問題は深く考えていく必要がありそうです。

カテゴリー: 勉強, 読書

ひかり2013年05月号

ひかり誌2013年05月号表紙

ひかり誌2013年05月号表紙

弁栄聖者 今月の御道詠

かなしさに おのがなくねを のみぞきく
 鹿野の苑生の みあとといつつ

仏蹟参拝『日本の光』

05 光明会各会所年間行事
06 聖者の俤(おもかげ)其二十九 中井 常次郎
08 光明主義は日本的霊性の完成 その3 河波 定昌
11 感動説話「恩を知る」 明千山人
12 子供といっしょに学びましょう 39
14 光明主義と今を生きる女性 植西 武子
16 光り輝く淨土への道72  山上 光俊
20 能生法話「残せし思い」 辻本 光信
21 図書案内
22 自他不二への向上み その8 佐々木 有一
24 お袖をつかんで 吉水 岳彦
   「第十二歩 貧しき人」
26 ひかりの輪 光明学園
   巣立ちの時 第58回 卒業式
31 特別会員及び賛助会員のお願い
32 聖者の霊筆 その7
34 写仏のすすめ
36 支部だより
38 清納報告・財団レポート
   お知らせ(弁栄聖者の本が書店で)
39 書籍のご紹介・こちらひかり編集室

カテゴリー: 「ひかり」目次, 月刊誌「ひかり」

弁栄聖者の俤(おもかげ)29

◇〈弁栄聖者ご法話〉聞き書き その二(授戒会の説教)

心田地は法身より受けたもので、因果の理によって出来る。この心田地に、悪い種を蒔かぬように、仏戒を受けるのである。五戒即ち仁、義、礼、知、信を守れば、人間に生まれ、十善戒即ち不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不貪欲、不瞋恚、不邪見を守れば天上界に生まれる。四諦、十二因縁を悟れば声聞、縁覚となる。今は仏道の幹である菩薩戒を説く。他は枝である。

法身は一切万物の産みのみ親にて、報身は信仰により心霊を育て給う育てのみ親である。又、応身は吾等に成仏の道を説き給う教えのみ親である。法身より受けた心を完全円満に育て給うのが報身仏にて、この理を応身仏なるお釈迦様が我等に教えて下さったのである。

今から菩薩戒を授ける。仏に成る種蒔きをするのである。
 一、一切の罪を造らず。(摂律儀戒)
 二、一切の善をなす。 (摂善法戒)
 三、一切衆生を利益す。(饒益有情戒)

この三つを菩薩戒という。一つにまとめたのを一乗仏性戒という。結果は同じであるが、信ずると、守るとの二つの方面から菩薩になる。戒を受けるのは、念仏の徳を完うする為である。受けた戒は、皆守る事ができないけれども、できるだけ守ればよい。戒を一度保てば、一度だけの利益がある。

戒を受ける時、心を清らかにせよ。然らずば、消えやすい。菩薩戒を金剛法戒ともいう。この戒は完全円満なる仏となる事、即ち物の中で最も貴いダイヤモンドに成る戒である事を意味する。

戒を授ける人を伝灯師という。人の心のロウソクに信仰の火をつける役である。火がつけば、発得したのである。戒を全部受け入れ、力に応じて、一部分ずつでも、勤めて実行する事を全受分持という。

人の心に、三種の業障あり。その中で、黒障というは、如来の光明中に在りながら、その光明が少しも見えない心の汚れである。次に黄障は、師友知識の導きにより、信仰に入り、前途に光明を認めたる状態である。白障とは信仰が進み、三垢消滅、心意柔軟の光益を蒙り、障子を距てて月を見る如き障りをいう。これらの障りを除くためには一心に懺悔せねばならぬ。懺悔に上品、中品、下品の三通りがある。上品の懺悔は、血の涙を流し、全身八万四千の毛孔から血を流して懺悔すること。中品の懺悔は、血の涙を流し、全身から汗を流して懺悔すること。下品の懺悔は、全身より汗を流して懺悔する事である。これらの懺悔により、業障は次第に薄らぐのである。

世尊は一切の心ある者に、この戒を受けよと仰せられた。三聚浄戒は、信仰の方面より見れば、南無阿弥陀仏である。聖武天皇は御頭を丸められて「自分は帝位に在れど、天の親様に撰ばれて、如来の使命を務められるようになったのは、この上もない幸福である」とお悦び遊ばされたという事である。わが国では、昔から天子様で僧になられた方は三十八人あらせられる。皇族で僧になられた方は四百人余りおありになる。

一切衆生は悉く仏性を持っている。吾等は、もともと仏の子であるが、卵のようである。卵をそのまま捨てておいてはひなどりとならぬ。人間は肉にばかり生きていては、生死の夢から醒める事ができない。この戒を受けて、仏に成る種蒔きをせねばならぬ。

一切の罪悪は、大御親から受けたものを正しく使わないから起こる。凡夫はみ親の心を知らず、心が暗い。それで、あやまちをする。戒を受けると、正しい道がわかって来る。一休和尚が詠んだという歌に

  やみの夜に鳴かぬ烏の声きけば
    生まれぬさきの父ぞ恋しき

というのがある。烏とは経文の黒い字の事、生まれぬさきの父とは、阿弥陀様の事である。歌の心は、お経を読んで、お浄土の事を思えば、阿弥陀様は恋しいというのである。

(つづく)

カテゴリー: 弁栄聖者の俤, 月刊誌「ひかり」