仏力と易行ということ ─無礙光の序説として─  その1

関東支部会員 佐々木 有一

一、龍樹菩薩の信仰

何かの機縁で念仏に関心をもち念仏の本を読みはじめますと最初に出会うのは易行道と難行道、他力と自力、浄土門と聖道門といった区別であります。それぞれ龍樹、曇鸞、道綽がその提唱者だとも教わります。その中で易行というところに目がとまり安心させてくれます。そして法然上人は「聖道門は智慧を極めて生死を離れ、浄土門は愚痴に還りて極楽に生ず」といわれました。江戸時代の義山(1647~1717)は愚痴に還るとは「迷い深く心暗かれというには非ず、智慧をも才覚をも加えず物立てず、ただ願力に身を任すをいう」と注釈しています。愚痴に還ると聞いて現代の人間はなんとなく落ち着かぬ心地がしていましたが、義山の説明を聞くとなるほどそういう意味なら納得できると考えます。

さてその易行道といわれて安心なわけでありますが、それを言い出した龍樹は一体どういう意味で使っているのか、どういう文脈の中で言っているのでしょうか。龍樹はインドの人、生歿は150年頃~250年頃とされ、中観派の祖として大乗仏教を体系化した人、中国・日本では八宗の祖とも仰がれる菩薩であります。仏教の根本思想は縁起であり、それは不生不滅・不断不常・不一不異・不来不去の八不中道であることを『中論』によって明らかにし、さらに真俗二諦を貫くものを空性とし、また独自の言語哲学を確立したとも評されています。大品般若経に詳細な註を加えて一種の仏教百科辞典ともなっている『大智度論』も仏教界の貴重な財産です。

龍樹の学問的業績は総じていわゆる聖道門的でありますが、その一方で『十住毘婆沙論』という書物も著し、一般には『十地経』(華厳経十地品の原型、入法界品と並び華厳経の柱)の論釈とされています。十七巻三十五品の構成です。画期的なのはその第九章に「易行品」という章を立て、諸仏の称名、憶念、なかでも阿弥陀仏への帰依を明らかにするなど無量寿経を踏まえていることが注目されます。筆者には、この書は結局龍樹個人の信仰告白の書ではないかと思えてなりません。鳩摩羅什によるこの書の漢訳本には十地のうち初地と二地の一部までしか記述がないうえ、十地経には無い内容が、肝心の易行品を初め中心的位置を占めており、また毘婆沙という言葉自体が「広説」「勝説」とか訳されるそうですが、単なる解釈というよりも模索しながら何かを突き止めていくようなニュアンスが秘められているのではなかろうかと、語学的知識はありませんがそのように感じられるのです。

菩提心を発すについても、仏の力によらなければ不退転の力を得られないということを強調しており、釈尊さえも如来の力によって発願したと述べています。ジャータカ・本生経によれば遠い遠い過去世において燃灯仏(錠光仏ともいう)がお通りになるのに出会った釈尊の前身の青年が、みずからの長い髪の毛を泥土に敷いてその上をお通りくださるように申し上げます。その心中には自分もこのようなお方になりたいものとの願いを懐いておりましたところ、如来はその心をお知りになり、青年に汝は未来において成仏するであろうと授記された説話があります。青年はそうして発願して以降、長い間にわたって諸種の修行の功徳を積み、やがて阿惟越致地(十地のうちの初地、歓喜地、不退転地ともいう)に入るわけです。このように釈尊はいわゆる無師独悟ではなく、燃灯仏に値遇するという仏力によって成仏されたことになりますが、『十住毘婆沙論』は発願して後も仏力によらなければ初地にはきわめて入りにくく、その仏力によるとは結局諸仏や阿弥陀仏の名を称し、憶念することが捷径であり、故に易行であると主張しています。

弁栄聖者の十二光体系における無礙光は、

  如来無礙の光明は  神聖正義恩寵の
  霊徳不思議の力にて  衆生を解脱し自由とす

という讃で礼拝されますが、まさに仏の用大、おはたらき、すなわち仏力の役割を果たす光明であります。

『十住毘婆沙論』ではどのような意味合いで仏力の重要性を説いているのか、またそれを仰ぎいただく捷径ともいうべき易行とはどのようなものと考えられているのか、その辺のさわりを味読しながら紹介してまいりたいと思います。

なおテキストは矢吹慶輝訳『国訳一切経釈経論部第七』を基本にしています。矢吹慶輝博士(1879~1939)は宗教大学(現大正大学)教授、「三階教之研究」で学士院恩賜賞受賞、また拙稿では後述のように細川巌氏の講義本の現代語訳も参照しています。

(つづく)

カテゴリー: 佐々木有一氏, 月刊誌「ひかり」

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