東西霊性文化と光明主義

弁栄聖者の光明主義は新しい時代を開く宗教であります。しかしながら、その宗教は決してただ単なる未来に向かっての新しいだけの、いわゆるダーウィンやマルクス等にみられるような進化論的な宗教にとどまるものではありません。同時にそれは法然上人に還り、釈尊に還り、そしてその釈尊ご自身さえもそこから出現してきた根源たる阿弥陀仏自身に還ることによる、そこからの限りなく新しい精神の地平の展開を意味するものでした。

このような光明主義はアルケー[※1]たる阿弥陀仏に連なる点で《深》なる宗教であると共に、また未来に向かって限りなく展開する《新》なる宗教でもあります。このように深にして新なるところに光明主義の何よりもの特色があります。

ところでかかる光明主義が成立した20世紀は東西の宗教、すなわち大乗仏教とキリスト教とが始めて全面的に出会った時代でもありました。イギリスの歴史学者A・トインビーはこの両宗教の出会いが千年に一度とも云えるほどの人類の精神史上における壮大な出来事であり、まさにそれが20世紀であったとしているのであります。

そしてその出会いは大乗仏教の側においては幕末から明治・大正にかけて活躍された弁栄聖者において遂行され、実現せられてゆきました。そして聖者におけるその決定的な契機となったのが、大乗仏教における仏性、如来蔵の思想が「霊性」という言葉によって新しく展開されてゆく、まさにその点でした。弁栄聖者の場合、一つの文章の中に仏性や如来蔵等の用語が霊性という言葉と併説して述べられているケースも少なくありません。そして仏性、如来蔵の語が霊性という用語で、伝統的日本的霊性、すなわち弥生的(稲作的)、そして縄文的霊性に連なり、他方またヨーロッパの宗教たるキリスト教とも限りなく開かれた地平が展開されてゆくことになったのです。そのことは、伝統的な視点から云えば、たとえば霊性という用語がなくても、その豊かな展開の一例として芭蕉の有名な句、すなわち、

  あら尊と 青葉若葉に 日の光

にもみることができます。短い語句ですが、そこには「あら尊と」にどこまでも奥深い霊性の発動がみられます。それはまた同様に弁栄聖者の道詠、すなわち、

  奥ふかき心にのみと思ひしに
    庭の花さへさとりひらきつ

(『道詠集』20頁)

にもみることができます。ここには聖者の霊性と大自然との間の霊的な感応道交があり、霊性の展開がみられます。

このように弁栄聖者は伝統的な仏性、如来蔵を霊性という言葉に転換することにより、日本の伝統宗教との開かれた地平が豊かに顕れていったのであります。その点で、日本精神史を改めて日本霊性史への展望で語ることもできるようになりました。それまでの日本の思想史は殆ど唯物論的な経済史や政治史等の域を出ぬものでした。聖者のただ一つの用語の転換が日本精神史の霊性史としての深まりの決定的な要因となっていることが考えられます。

しかしながら他方、弁栄聖者における仏性、如来蔵の用語から霊性の言葉への転換には、20世紀における東西両宗教の出会いなくしては考えられぬことでした。

それは弁栄聖者が若年時より『新約聖書』やキリスト教とも親しまれており、イエス・キリストやパウロの手紙等に触れられていたことが考えられます。そして、仏性霊性そのものがキリストやパウロの経験の中にも躍動していることに気づかれ、個々における聖霊体験等が必然的に仏性、如来蔵を霊性ということばに転換せしめていったことが考えられるのです。

霊性を意味する英語spirituality の語源はラテン語のspiritualitas 、更にさかのぼってギリシア語のpneuma(霊)にゆきつきます(『新約聖書』はギリシア語で書かれていました)。そしてイエス・キリストもまたパウロも「聖の現臨」spiritual Presence , Gegenwart des göettlichen Geistes を経験し、それに圧倒されていたのでした。そして実に弁栄聖者もキリストやパウロを通じてはたらいている霊そのものに触れられ、そこから二千年にわたる大乗仏教の仏性、如来蔵が霊性ということばに転換せられ、そのことによって大乗仏教とキリストというそれぞれに異なった宗教との間の連継性ないし同一性が目覚めていったのです。今や人類は地球的、否宇宙的な地平でみる時、大乗仏教もキリスト教もただ一つの真理の異なった展開にすぎなかったことに気づかれるようになっていったのです。そこには弁栄聖者が「天に在ます父なる神」(キリスト教)と阿弥陀仏とは「同体の異名」と述べられている点からも明確であります。(『無量光寿』参照)。このように二十世紀という時代が光明主義という東西文化を超えた普遍宗教を展開せしめていく時代になったのです。

このような方向への努力は鈴木大拙の『日本的霊性』にもみられることができます。彼の日本的霊性は鎌倉仏教を核として思考していったものですが、そこにも彼の二十世紀を生きた人間として霊性の普遍性への思惟がみられます。たとえば彼は『日本的霊性』において、

宗教意識の覚醒は霊性の覚醒であり、それはまた精神それ自体が、その根源において動き始めたということになる。……霊性は、それゆえに普遍性をもっていて、どこの民族に限られたというわけのものでもない。漢民族の霊性もヨーロッパ諸民族の霊性も、日本民族の霊性も、霊性である限り、変わったものであってはならぬ

(同書20頁)

と述べています。

その同じ動向は日本宗教、あるいは京都学派の宗教哲学等にふれてキリスト教の側からも起こってきました。その一例として、たとえばP・ティリッヒ Paul Tillich(1886-1965)を挙げることができます。彼はドイツ生まれのアメリカのプロテスタント神学者でした。彼は晩年、「霊性の宗教」[※2]という新しい神学の構想を明確に打ち出し、「霊性」というキイワードから宗教の世界へアプローチしてゆきました。彼によると神の現臨 spiritual presence(弁栄聖者の『礼拝儀』では「今、現に此処に在ます」に対応)とは、「人間の霊性」が神(究極的なもの)によって捉えられることであり、その神の霊 the devine Spirit の衝撃によって「人間の霊性」the human spirit が変化してゆくことであります。[※3]そしてティリッヒはここで、今までキリスト教では余り注目されなかった人間の隠れた能力である「霊性」の存在を明確に語っているのであります。

現在、霊性がスピリチュアリティと呼ばれ、人間の優れた能力として世界的に注目されつつありますが、最晩年のティリッヒはそれを自己のキリスト教神学の中に位置づけるだけでなく、宗教の普遍性を基礎づけようと試みている点で弁栄聖者の光明主義とどこまでも連なりあっていることが考えられます。そしてこのようなプロテスタント神学者の最晩年における東洋宗教との出会いが、キリスト教世界においても、新しい「霊性の宗教」への思惟を展開せしめてゆくことになったのです。

なお「霊性」という言葉はパウロの「霊の人」[※4]等に躍動してはたらいているのですが、中世には「霊性」spiritualitas という言葉は「聖職者」に関しての言葉でありました。そしてこの「霊性」の言葉は19世紀末から20世紀初頭まで、キリスト教神学の領域から消えてしまっていたのです。しかしながら、二十世紀になって、この霊性という言葉は今や徐々に現れてきたのですが、そしてそれが次第に支配的となり、ティリッヒに及んでいる、ということも云えるでしょう。そしてそれは更に、異なったキリスト教の伝統の境界をも超えて、しばしばエキュメニカルな発展の手段となる内省の領域となりました。それは仏教やキリスト教等の宗派を超えた、対話によるより幅広いエキュメニズム(教会一致運動)へとさらに広がっていったのです。そして霊性の宗教としての光明主義も改めてこのような広大な人類の宗教史の中で深く捉えられるべきでありましょう。

以上

 

  1. 【アルケーarkhē】
    万物の、そして私自身の根源。紀元前六二四頃~五四六頃のギリシャ最初の哲学者のタレス等において登場してきた言葉。 []
  2. ティリッヒの「霊性の宗教」については、石浜弘道『霊性の宗教』(北樹出版)、P・シュルドレイク『キリスト教霊性の歴史』(教文館)等を参照した。 []
  3. 『組織神学』第Ⅲ卷1963年、112頁。 []
  4. コリント人への第一の手紙第2章14節~15節 []
カテゴリー: 上首法話, 月刊誌「ひかり」, 法話

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