見まもるほとけさま2

ヒロくんとお父さんは食べものに困りスイカ畑へいきました。
そして、畑の通路のこかげにヒロくんをかくれさせ、
「いいか、だれか人がこないか、ここでちゃんと見張っているんだぞ」
そういうと、お父さんは畑の奥に入っていきました。

しばらくするとお父さんが「おーい、だれかきてないか?」
ときくと、ヒロくんが「お父さんだいじょうぶだよ、だれもきてないよ」
そうヒロくんがこたえるので、安心してスイカを盗ろうとしました。

そのとき、ヒロくんが上を見ながら、
「お父さん、だれも見ていないけど・・・」
お父さん「だれも見てないけどなんだ?」
ヒロくん「お月さんがじーっとこっちを見てるよ」
そうヒロくんが言うと、お父さんは手をとめて、
お月様の方に顔を向けました。

するとお父さんはしばらく月をみつめています。
そして目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきました。
おとうさんはたまらずうつむいて涙をふきながら、
「自分はなんて愚かなことをしようとしているんだ。
こんなことをしてちゃだめだ。しっかり仕事をさがさなければ。」
そんな事を心に思いまいた。
ヒロくんの父さん
お父さんは息子になさけない姿を見せたことをはずかしく思いました。
また、食事を息子に食べさせてあげられないことを情けなく思いました。
そしてお月さまに見まもられながらヒロくんと帰っていきました。

帰る途中、お父さんの表情が悲しくてくらい顔がだんだんと
「がんばるぞ」と言っているような明るい顔つきに変わっていきました。
そのお父さんは翌日、必死になって仕事を見つけ、食べ物を買い、ヒロくんにお腹いっぱいの食事をあたえました。1 

おしまい

  1. 物語のせつめい
     この話には仏さまが実は二回登場します。ちょっとわかりにくいですね。まずお月さまが仏さまです。いつも外側から見まもっている仏さま、このお月さまをみて、お父さんはスイカをぬすめなくなってしまいました。それは毎朝お称えしている『礼拝儀』の「至心しに帰命す」の内容です。むずかしい言葉だけれども、そこには「仏さま私の真正面にいて見まもり、お育て下さい」と説かれてあります。そのお月様が一回目の仏さま。
     二回目の仏さまはお父さんの心の中にいました。お父さんは月をみて涙を流しながら、「こんなことをしてちゃだめだ。しっかり仕事をさがそう」そう思いました。それも心の中にいる仏さまの声です。それは『礼拝儀』の「至心に勧請す」の内容「いつも私の心の中にいて、正しき道を教えてください」の内容でした。仏さまは、お月さまのように自分の心の外にもいて、そして自分の心の中にもいます。どちらにもいてみんなを、外と内から見守り、育てて下さいますよ。 []
カテゴリー: 子供と一緒に, 月刊誌「ひかり」, 法話

ひかり2012年06月号

ひかり誌2012年06月号表紙

ひかり誌2012年06月号表紙

弁栄聖者 今月の御道詠

子をおもふ ミオヤの聖旨 本よりも
 かかりあるとは かつて知らじな

『御慈悲のたより』上

05 光明会各会所年間行事
06 聖者の俤(おもかげ)其十八 熊野 好月
09 感動説話「長生きの秘訣」 明千 山人
10 光明主義と今を生きる女性 山本 サチ子
12 子供と一緒に学びましょう 28
14 光り輝く淨土への道61  山上 光俊
18 自他不二への向上み その2 佐々木 有一
20 能生法話「受け容れる」 辻本 光信
21 ひかり購読のススメ
22 お袖をつかんで 吉水 岳彦
24 シリーズ会所探訪 光明修養会本部の紹介
26 仏像ファッションと写仏 金田 隆栄
28 薬膳料理 大谷 明美
30 支部だより
36 掌木魚のご案内
37 清納報告
38 特別会員及び賛助会員のお願い
39 財団レポート・こちらひかり編集室

カテゴリー: 「ひかり」目次, 月刊誌「ひかり」

見まもるほとけさま1

あるところに、お父さんと
小学生の息子「ヒロくん」の親子がいました。
親子はお寺に時々おまいりし、
手を合わせ「なむあみだぶつ」とお称えしたり、
仏教の歌を歌ったりするのが大好きです。

そのお父さん、悲しいことに、
いままでしていたお仕事をクビになってしまいました。
新しいお仕事を探しましたが、なかなか見つかりません。
そうこうしていると、お金がついにそこをついてしまいました。
お金がなくなってくると、どうなるでしょう?
そう、食べ物が買えなくなります。
ヒロくんが「お父さんお腹がすいたよー」
と腹をおさえながらいっています。
そうはいってもお金がないから食べ物が買えません。
そんな生活がなんと三日もつづいてしまいました。

その三日目の夕方頃、
「お父さん、お腹がすいて死にそうだよー、うえーん」
今まで「ぼくは男の子だから」と
泣くのをがまんしていたヒロくんがついに泣いてしまいました。
おなかがすいたよー

そのヒロくんの様子をみたお父さんは、こんなことを考えはじめました。
「自分のお腹がすいて苦しいのはがまんできる。
でも息子がお腹をすかせて泣いている姿を見るのはつらくてたまらない。
しょうがない、今夜、息子の大好きなスイカをぬすみにいこう!」
そんなことを心の中で考えてしまいました。
そして、お父さんは「ヒロ、今日は畑へいってスイカをもらってこよう」
そうお父さんがいいましたが、勘のいいヒロくんです。
「あっ悪いことするんだ」とすぐにわかりました。
ふだんはぬすみをしようなんて考えないマジメなお父さんです。
ヒロくんはびっくりしましたが、お腹がすいていますし、大好きなスイカが食べられます。
「うん」と静かにうなずきました。

スイカを盗みに……

そして、夜になってその親子は、
人にみつからないように、
そーっとスイカ畑にいきました。

(つづく)

カテゴリー: 子供と一緒に, 月刊誌「ひかり」, 法話

弁栄聖者の俤(おもかげ)18

熊野好月著『さえられぬ光に遇いて』12

随行記(つづき)

いよいよ長らくの御随行も今宵限り、明日は恒村夫人のお供をして京都へ帰る事になりました。中井先生、松井様は山の別時がすむとまもなく先に帰京なさいました。朝夕御いつくしみ下さいました聖者にお別れいたす事はいかにも名残惜しく、せめてお疲れのお体を久しぶりにお擦りさせて戴きましょうと下手なマッサージをさせて戴いておりました。恒村奥様はお側で団扇の風を送りながら、何くれと、光明会の前途についてお話しておられました。黙って聞いておられましたお上人様がその時ぽつりと、

「わたしが死んだら」と申されました。

思いもかけぬお言葉に、何を言い出しになるのかとどぎもを抜かれていますと、

「九州の信者が、私が死んだら笹本を後に立てて光明主義を立派にやっていくと云っていました。それがいいですね」と仰いました。恒村夫人はすかさず、
「お上人様、いまおなくなりになっては困ります。知恩院の大殿のお勤行が礼拝儀になるまでは生きていて戴かねば」と申されました。

聖者はあと何も仰せられず、おさすりさせていただいていた私は、考えもしなかった、凡そむすびつかぬこの言葉に、何だか急に淋しく、悲しい思いに閉ざされ、ひそかに涙した事でありました。お慈悲に甘えた子供達が我儘をいってはお心をいため、然も自分の非に心づかず、今更ながら勿体ない極みでございます。名残りもつきぬお別れ、お上人様はわざわざ内玄関までお送り下され、尚ふり返りふり返り足もにぶりがちの心に報うてか、お下駄をはかれて、くぐり戸の外までもお出まし下さいまして見えぬまで立ちつくしておいでになりました。ああ思い出つきぬ月余の御随行、悲しい事に幼稚で業障に眼しいたる1この身、せっかくまたと得難い尊い機会に恵まれながら、大聖者に咫尺2しながら「愚者は賢者の心を知らず」とやら、しかも「賢者は愚者の心を知る」幼いものの心に応同してお導き下さったのであります。

その後お礼の言葉と共に随行中の感想の手紙を差し上げ「さきつ頃3、恒村夫人が御随行なさった時、お上人様から「随行中の成績表」というものを戴かれたと承っております。御覧の通りの不束者、将来のため私にも」とお願いしました。お返事の中にいとしき子へのおいたわりの言葉数々を賜わり尚、
「初発心の菩薩として、修業の段階である六波羅蜜の初めの免状を頂戴するのも未だ容易でない。何となれば如来よりつかわされし霊の鎚を未だ恨めしそうに受けているらしいから」云々と落第点を頂戴したのでした。しかし諧謔4のうちに無限の教訓を含めてのこのお言葉は、私に取っては千百の讃辞をいただいたよりも幾倍か身にしみて有難うございました。

み光の中の努力や勉強は決して自力と排すべきでない事を、身を以ってお示し下さいました。いま、私の直面している最もむずかしいと思い、いやに思うその事こそ、如来大悲の試練でありこれをよそにして他に修養の機会を求めるの愚を悟りました。受け身であり消極的で引込みがちの性分は、やはりのぞかねばならぬ垢であり障りでありました。何もかも明らさまにさらけ出してお慈悲のみ名を通してお育てを仰ぐのみであります。

大正九年十月一日は丁度我が国で最初の国勢調査の行われた日であります。この日、お上人様は東から鳥取への途次5丁度夜汽車中でして恒村先生方にお立寄りの予定でありましたので、同家の申告書に最初にして最後の足跡を記録されたのでありました。初めて生年月日等も承知する事が出来ました。一同いよいよお親しさを感じたのであります。その頃はつらつとした勢いで各地光明会に刺激を与え、奮起をうながしましたわが京都光明会は、一つに恒村、中井両先生の献身的な御努力の賜物でありました。御両所共いのちがけの身心を堵しての御熱心さでありましたが、ここに心配なきざしが見え始め、各々賛否相わかれどうなる事かと案じられてなりません。御意見の対立というのは、次のようであったと憶えております。一方では、このよいみ教えを、一時もはやく世に広め、一人でも多く聖者の御縁にあわせるべきとの御意見で、他はまだ自分が出来てもいないのに足元をおるすにして他によびかけるのは尊いみ教えを誤解せしめるもとである。それよりも先ずみ教えのままを自分が一心に行じて霊化され、その行動が自然に人をひきつけ感化する行き方でなければ危険であるとの御意見であったと思います。私共何もわからぬながら考えますと、どちらも御もっともと思われましたが、さて実際問題となりますと、行き方がすっかりちがい機関紙の行き方にしても、お集りの方針にしましても事毎に現れ、それが感情問題と結びつき、ただおろおろするばかりでありました。丁度この日お立寄りを幸い、この問題の解決を聖者にお願いする事になりました。お上人様は一同にむかって、御自分の両手をさしのべられ、

「この右の手には親指が左につき小指が右についている。左の手には親指が右につき小指が左についている。その片方が自分が正しく他がまちがいだと主張しても、それは無理である。両手を統一している頭の中台から見ればどちらも正しいので、この通り合掌すれば親指も小指もぴったりと合う。これがもし、両手共同じ方に指がついていたのでは、合掌は出来ない。み親様を中心にお互いが合掌の心でとけ合い、バラバラの気持ちにならずに、それぞれの持ち味を発揮していく事が大切であります」と涙ぐましいお諭しを賜わりました。またある時はこんな事をお話し下さった事があります。

「ある信者が、私の話で救われたというので非常によろこんで申すには「私は夜休みます前に先ず、お上人様のいらっしゃる方を拝みます、それから法然上人様を拝み、しまいに如来様をおがんで眠りにつきます」と申しておったので、「それはただ如来様を拝むだけでよろしい。すべてはその中に含まれています」と云った事であった。お釈迦様も、

「自分は如来様という月を指さす指である、世の人はともかく、指に心をうばわれて肝心の月を見ようとしない」となげいておられる。救われた嬉しさに伝道者をむやみに有難がって、肝心の大ミオヤ様をおろそかにする人は必ず失望する時が来る」と。

くりかえしお諭しになりました。とかく私共は如来様はあまりにも高すぎてわかりませんので、私達の身近にあって如来のみ光を体現します聖者ばかりが有難くてなりませんでした。それから半年もたたぬ間に、御遷化になりました時はただ途方にくれて、この一人歩きも出来ぬ赤ん坊を捨ててお浄土に帰られた事が悲しゅう思いましたが、いつまでもお肉の身ばかりにおすがりする事の非を悟らせ、大みおや様をお慕い申せとの深い思し召しであった事かと後でわからせて戴きました。

さて、いよいよ鳥取に御出立ちになりました時は京都から蚊野氏が随行され、恒村御夫妻は嵯峨まで、私は園部駅までお見送りいたしました。車中にてかねがね解決しかねておった心の問題をお伺いいたしました。その時は何も仰せられず、あとで委しく手紙を出すからとの事で園部駅でお別れいたしました。教示をねがいましたのは私として将来如何に世に処すべきか、どんな方針で進んで行ったらよいかを、その時課せられていた問題について具体的なお示しを願ったのでした。お上人様の御命ならば火の中も辞すまい、自らの心の進まぬ境遇にでも甘んじようと決心しておたずね致したのでございますのに、お返事は簡単で、お念仏の申せる様な境遇を選び、また世の人に如来様のお光明を伝えるに都合のよい生活様式を選んで参るがよいとの意味で、はっきりと右せよ左せよとの御指図はなかったのであります。

いよいよお別時の前日、聖者を二条駅にお迎えしました時、見馴れぬ御出家がお供をしていらっしゃいました。それが佐々木為興上人である事を紹介されました。

(つづく)

  1. 眼しいたる:眼がみえない状態 []
  2. 咫尺:【しせき】近い距離 []
  3. さきつ頃:先日・せんだって []
  4. 諧謔:【かいぎゃく】気のきいた言葉・ユーモア []
  5. 途次:【とじ】(あるところへ向かう)途中 []
カテゴリー: 弁栄聖者の俤, 月刊誌「ひかり」

信仰の型

信仰において大切なことの一つは、その型です。
例えば、車のおにぎりの型にご飯を詰めると車の形をした、おにぎりができあがります。しかし、いびつな型にご飯を詰めますと、出来上がった、おにぎりもいびつなものになってしまいます。信仰も同じです。「南無阿弥陀仏とお称えする」という型どおりにお念仏していますと、阿弥陀様のあらゆる徳が私達に備わってきて、生きているうちから幸せになることができます。
ただ、型がいくら立派でも、充分にその型につめなければ立派な形はできあがりません。車のおにぎりの型にご飯を少ししか詰めなかったならば、はやりいびつなもしかできあがりません。信仰もそうです。阿弥陀様に全てお任せして生活していく事が大切です。その阿弥陀様に全てお任せして生活していく事を仏教の言葉で「南無」といいます。「南無阿弥陀仏」の「南無」にはそのような意味が込められていたのです。「全てお任せ」といいますのは「自分の全て」ではなく、「共に生きているものの全て」です。目に見える生物だけではなく、頂いてしまった食事も、ご先祖様も目には見えなくても、私達と共に生きているのです。私達はそれらの命を共に極楽世界へ連れて行く責任を担っているのです。

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

ひかり2012年05月号

ひかり誌2012年05月号表紙

ひかり誌2012年05月号表紙

弁栄聖者 今月の御道詠

極楽は はるけきほどと おもふらむ
 日に幾たびも めぐりながらも

『御慈悲のたより』下

05 光明会各会所年間行事
06 法のつどい企画:心の光コンサートのご案内
07 聖者の俤(おもかげ)其十七 熊野 好月
10 光明主義と今を生きる女性
12 子供と一緒に学びましょう 27
14 感動説話「還るところ」 明千山人
15 能生法話「見捨てる」 辻本 光信
16 光り輝く淨土への道60  山上 光俊
20 自他不二への向上み 佐々木 有一
22 ひかりの輪 光明学園「巣立ちの時」
24 シリーズ会所探訪 谷性寺の紹介
30 仏像ファッションと写仏 金田 隆栄
32 遺墨画作品集ご案内
33 掌木魚のご案内
34 南葵光明会訪問記
36 ひかり購読のススメ
37 支部だより
44 財団レポート・清納報告
45 特別会員及び賛助会員のお願い
46 図書案内
47 こちらひかり編集室

カテゴリー: 「ひかり」目次, 月刊誌「ひかり」

いただきもの

「ピンポーン」家のインターホンが鳴りました。
お母さんが「どちらさんですか」
とたずねると、外のお兄さんが、
「こんにちは、宅配便です。お荷物おとどけにまいりました」
ドアを開けてみると、
ダンボールをもった宅配便のお兄さんが立っています。
お母さんがはんこをポンとおして、
「ごくろうさまです」というと
お兄さんは帰っていきました。
その時いっしょにいたしょうちゃん、
お母さんのお手伝いのでばんです。
そのダンボールをリビングにはこびました。
「いったい何が届いたんだろう」
ダンボールにはってある紙をみてみると、
どうやら親戚のおじちゃんからのようです。
しょうちゃんは楽しみでしかたがありません。

おじさんからのお届け物

いそいで、ガムテープをはがしダンボールを開けると、
たくさんのイチゴが入っていました。
しょうちゃん大喜び、「早く食べよ!食べよ!」というと、
「ちょっとまって! その前にやることがあるでしょ。」
とお母さん。
それを聞いた、しょちゃん、
「そうだった。へへへ」といいながら、なれた手つきで、
ダンボールからイチゴをだし、お仏壇の前にお供えしました。
かねをチーンとならし手を合わせて、
「なむあみだぶつ・なむあみだぶつ・・・」
とたくさんお称えして礼をしました。
じつはしょうちゃんの家ではいつも、
いただいたものは、まずお仏壇にお供えしています。
そうしてはじめていただくことができます。
それだけではなく、朝ご飯のときも、
自分たちがいただく前、お茶とご飯を仏さまにお供えしてからいただいています。
しょうちゃんの心の中にはいつのまにか
「この仏壇には大切な仏さまとご先祖さまがいるんだ。」
という気持ちが育まれていました。

手をあわせましょう。

カテゴリー: 子供と一緒に, 月刊誌「ひかり」, 法話

弁栄聖者の俤(おもかげ)17

熊野好月著『さえられぬ光に遇いて』11

唐沢山別時にて

お上人様を中心にした広間では色々面白い問答がかわされておりました。ある人、

「お上人様あなたのお眼にはひとみが二つ重っていて、日中の太陽でも平気で御覧になれるとかききましたが本当ですか」

 お上人お笑いになって、

「太陽は初め見る時は眩しく感じるが、じっと見つづけていると眼が馴れて左程まばゆく感じなくなります。誰でも見られますよ」

 また、

「お上人様のてのひらは灯火をおともしになったので、火傷のあとでしわがないとききましたが熱くはありませんか」

 上人、

「それは熱いです。しまいに皮のこげるにおいがして来ます、然しあんな馬鹿な事はするものでありません」

 またある老婦人、

「お上人様この人が歯がいたいといっておられます。一寸なおしてあげて下さいませ」

 上人、

「それは竹内さんにおたのみなさい」

またある越後から参られた婦人、

「お上人様、私は母がなくなって一体どこに生まれかわって居るかそれが気にかかってどうかして知りたいと思っておりました。所がある時の夢にとてもきれいな天人の姿をした母を見ました、すると母は天上界に生まれているのでしょうか」

上人、

「そうですね」

その婦人たちまち涙ぐまれ、

「それでは仏様の所へ生まれているのではないのでございますね。何とかしてたすける事は出来ないものでございましょうか」

 上人、

「それは今がいまどうする事も出来ません。人間の世界でも子供が生まれるとみんな非常によろこぶではないですか。丁度そのようにあなたのお母さんは天人の境界によろこび迎えられていられるのです。時をまたなければ……あなたはただ一心にお念仏をなさい」

横浜の久賀夫人、

「お上人様、どうしてかこちらへ参りまして眠くてなりません。家ではこんな事はありません。一生けんめい眠るまいとしますけれどどうする事も出来ません」

 お上人笑って、

「我々もねむいですよ」

お上人様を特別のお方、不思議なお方と見られておるようでした。また実際、常人のなし得ない事を何でもないもののようにしてしまわれます。時々は両手に筆をもち同時に異なった歌を書かれたり、お米ひと粒に般若心経一巻を書かれたり、それは人を驚かせる為でなく、如来様のお慈悲を知らせたさに、口でいうだけではよりつかないので何とかしてとのやるせないお心から方便としてお用いになったという事は常々、

「世間の人は水の上を歩いたとか、お酒にかえたとか、手をふれて病気をなおしたとか、こういう事を大変な奇蹟として驚くがそれは大した事ではない。それよりも悪の心を善心に立ちかえらせる。これ程大きな奇蹟は外にない」

と仰っていらっしゃいました。

ここで私は思い掛けない大きな試練に出逢い、一時は真っ暗な所に突き落とされたような気持ちになってしまいました。世間知らずの一本調子の私がいつの間にか足元を忘れてよそ見をしておったのに対しての如来様の一大警告でございました。それはこの道の大先達として将来を嘱望され新進の熱烈な指導者として多くの方々の帰依を集めていた方の御素行に、あるまじき噂をこの清らかなるべき集いでの専らの評判として耳にしたのでありました。真偽はともあれ、そうした取りざたする人たちも浅ましく、また噂の種をまいた人も情けなく思いました。ふるい道徳の殻をぬけ切れぬ私には何だか念仏申してどんな所に導かれていくかわからぬと恐れをいだかずにおられませんでした。

「このみ教えばかりは、今まで失望に失望を重ねて来たそれとはちがって、真実のものと思ったのに、これも世上のものとは何等かわらなかったのか」

と私はまたも失望の苦杯をなめさせられ一体どうしたらよかろうか、またしてもよるべなき小舟のようにさまよわねばならぬかとお念仏も出来なく、本堂で勇ましい木魚の音をよそに、お座敷の片隅にしょんぼりと思案していました。お上人様はお仕事をかたずけて後、くれて本堂へ出ようとして私を見つけ、

「徳永さん1 どうかしましたか」

と優しくお尋ね下さいました。私はつい悲しくなって涙ぐみ、

「お上人様、私は光明主義がいやになりました。どうしてもお念仏が出なくなりました」

とやっとそれだけ申してあとは何もいえずうつむいてしまいました、するとじっと私の様子を御覧になって悩む子の気持ちをお読み取りになったのか、

「天魔らが吹きおこす百のいかづちむら雲も、み空さやかに照り渡る月にはさわりあらざりしではありませんか、むら雲を見てはいけません」

と仰って、静かに本堂へお出ましになりました。「むら雲を見てはいけない月は自分に見えても見えぬでも在すのですよ」とのお諭しに電気にうたれたように自らの非を悟らせていただき、やっぱりお念仏を離れて私の生きる道はない。ただ一筋の命のすがり綱であった。大ミオヤ様はこの信うすき身をお見捨て下さらなかったと有難さに泣いてしまいました。この出来事は私の心に起こった極めて些細な問題ではありますが正しく如来様の御試験でありました。死線を越え得るか否か、帰命とは生命を捧げる事と言葉の上では知りつつ実地にあたっては小さな我の計らいをもってこの無碍の念仏道に疑いをもち、あわれ二歩も三歩も退去したのでありました。この敗北こそ取りかえしのつかぬものであります。

お釈迦様の成道の時、魔軍襲来したというも決して架空なたとえ話ではなく、大小異っていても私の体験しました迷と悟との分水嶺、心の上の問題であったろうと思わせていただきます。ここに今更ながら親鸞上人の尊い絶対の信を有難く味わわせて戴きます。

「念仏はまことに浄土にうまるしとねにてやはべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん──たとえ法然上人にすかされまいらせて念仏して地獄におちたりともさらに後悔すベからす候」云々

このお言葉は法然上人の御順境の時ではなく、恐らく大邪教よばわりをされて弟子すらみ許を離れゆくものも多かった時に吐かれた、血のにじむような信頼のお言葉であったろうと推察されます。何でもない人の噂にかくも動揺したこの身のいかに信と愛のよわいものかを反省し、かくもみめぐみ深い聖者に対して申し訳なさに身のおき処もない感がいたしました。ああ難しいかな絶対の信、これなきが故に我はさまよう。また一面この敗北こそ未だ内容も熟しておらずただ理想ばかりを追って、実行の足がともなっていない危なかしい信、うつり香を己が香りと思い違いして増長した、たか上りの心を非常手段によって気づかせようとの如来様の御慈悲でありました。むごたらしいまでに打ちひしがれ、私のどこに存在の意義があるかさえわからぬほどのみじめさで、一時はこの教えに逢ったばかりにこんな苦しみも感ずるのかと恨めしくさえ感じた愚かな私。もしその時、細々でも試練にたえていたならば、それこそ鼻もちならぬひとりよがりにて、つまらぬ所に腰かけてしまった事でしょう。如来様は未だお見捨てになりませんでした。それと申すも長らくお供いたす間に、うつり香と申しますか、お念仏の調子もととのい霊感と申す程の事でもありませんが、いろいろ啓示さるる事の不思議さを、半信半疑のままお上人様に申し上げますと「ああそうですか」とだけ仰っしゃいますが、必ず次の御法話の中に思いあたる事ばかりにて、心ひそかに自ら許す所があった。その心のゆるみに御慈悲のしもと2は加えられたのでありました。

一週間は苦しみの裡に終りました。一同下山私達はお上人様のお供をして上諏訪の正願寺へ参りました。この町で弁栄上人様を中心とした子供大会と婦人会が開かれる予定でありました。一週間の垢を温泉で落とし一ヶ月御随行中、かみそりもあてず、ろくろく鏡も見なかった、恐らく化物のようであった私を恒村夫人の細かいお心遣いで生まれて初めての床屋へ連れていって戴きました。町の辻々に出ています子供大会の案内の看板に、

「来会者一人残らずに弁栄上人の米粒名号をあげます」

と書かれてありました。主催者のお考えではいつもの見当から多くても三百人位であろうとそのつもりで用意してあった所、当日集った会場には、何と大人もまじって約七百。主催者は青くなってお上人様の処へ飛んでこられてその事情を訴えられました。お上人様は何とも思し召さぬ御様子で「それでは書きましょう」と外の人が前座をつとめお噺をしておられる一時間程の間に忽ち三四百の米粒に南無阿弥陀仏と書かれたその速さ、柴さん達三人程の方が紙で包まれる方が追いつかぬ位だったとの事です。

「これ位でいいでしょう」とやめられましたがそれが何とぴったりと合っていたと申されました。

(つづく)

  1. 徳永さん:本稿執筆者、熊野好月師の旧姓 []
  2. しもと:(罪人を打つための木製の杖・転じて)手厳しい戒め []
カテゴリー: 弁栄聖者の俤, 月刊誌「ひかり」

『狐憑』

今日は中島敦著『狐憑』を読みました。

ホメロスと呼ばれた盲人のマエオニデェスが、あの美しい歌どもを唱ひ出すよりずつと以前に、斯うして一人の詩人が喰はれて了つたことを、誰も知らない。

で終わるこの作品は、「人類最初の詩人の物語」という解釈が普通であるよう思われますが、私にとって重要であったのは主人公シャクの「狐憑」としての末路でした。
主人公のシャクは弟の悲惨な死を通して、奇怪な事をしゃべり出すようになります。そこには弟の悲惨な死という明確な原因があるのですが、その話の内容に集落の人々が興味を示していくにつれ、しだいに娯楽を提供する者として「狐憑」を演じているのか、それとも本当の「狐憑」なのかという境界線が本人とっても曖昧となっていきます。そして自分の都合のよいように言葉を紡ぎ出すようになり、集落の権力者の怒りを買い、殺されてしまいます。
世間には私には霊が見えるとか、私は仏を見た等と軽々に語る者がいます。しかしそのような事を軽々に語る人々は、この『狐憑』の主人公のように哀れな末路をたどってしまうよう思えてならないのです。
昔から、このような事は、たとえ本当の経験であったとしても、軽々に語ってはいけないとされています。浄土宗三代祖、良忠上人はその理由を「魔によって擾乱されるからである」と説いていおられます。
シャクも始めは本当の「狐憑」であったのかもしれません。しかし他人にそれを語っていくうちに、本人も気づかないうちに、どんどん歪められ、自分の都合の良いようにものが見えてくるようになったのでしょう。
ではもし、われわれが霊を見たとか、「狐憑」のようになった場合どうすれば良いのでしょうか?
もっとも大切な事はお念仏をする事です。そしてこれは重要なことですが日常生活に支障がある場合にはちゃんと通院することです。機能的なことが原因であることも十分ありえますし、日常生活に支障があるのは霊が原因だという認識になりますと病識(自分は病気であるという認識)がなくなり問題の解決が難しくなる場合があります。
霊は本当に存在するのかという問題は別として、それが機能的な問題であるならば薬が解決のもっとも大切の1つになります。それが機能的なものではなく心の問題であるならば、阿弥陀様に全てお任せすれば全く問題ありません。

カテゴリー: 勉強, 檀信徒, 読書

ひかり2012年04月号

ひかり誌2012年04月号表紙

ひかり誌2012年04月号表紙

弁栄聖者 今月の御道詠

経をよむ 声にこころも さそわれて
 たのしき園に めぐりあそばむ

『御慈悲のたより』中・下

05 光明会各会所年間行事
06 聖者の俤(おもかげ)其十六 熊野 好月
09 光明主義と今を生きる女性
10 子供と一緒に学びましょう 26
12 名号の不思議 河波 定昌
15 感動説話「回向」 明千山人
16 参禅から念仏行へ
   〜理系人間の求道記 その五〜 江角 弘道
19 能生法話「迷惑」 辻本 光信
20 光り輝く淨土への道59  山上 光俊
24 関東支部研究報告
28 シリーズ会所探訪 光明園の紹介
30 弁栄聖者の三昧仏様が バングラデッシュに 遠藤 喨及
31 図書案内
32 仏像ファッションと写仏 金田 隆栄
34 支部だより
41 ひかり購読のススメ
42 回向申込
43 財団レポート・清納報告
45 遺墨画作品集ご案内
46 特別会員及び賛助会員のお願い
47 こちらひかり編集室

カテゴリー: 「ひかり」目次, 月刊誌「ひかり」