光明修養会上首 河波 定昌
本年1は法然上人滅後800回忌を迎えることになりました。そして法然上人の出現は浄土宗の開創、すなわち「南無阿弥陀仏」の名号によってすべての人びとが救われてゆくというただその一点に集約されるところのものでした。そしてそれは日本における最大の宗教改革でもありました。それまでの日本人の宗教は単なる他界信仰か、あるいはまだ呪術的信仰の次元にとどまっていました。
それはたとえばその典型を法然上人の『一百四十五箇条問答』──(建仁元年(1202年)頃成立)における法然上人と一般信者たち、とりわけ女性たちも多い──との対談にもみることができます。そこではマナ=タブー(禁忌)の呪術的世界に縛られていた一般大衆の法然上人による念仏信仰への目覚めへと導かれている点からもみることができます。その二、三例を挙げますと、たとえば死者を出した「忌み」について、
「仏教にはいみ(忌)という事なし。世俗に申したらんように」
(第二十六問答)
あるいはまた、
問「月のはばかりの時、経よみ候はいかが」
これは女性からの質問と思われますが、それに対しての法然上人は、
「くるしみ(差しつかえ)あるべしとも見えず候」(第七十五問答)
ましてや念仏においてはかかるタブーからは百パーセント解放されています。
あるいはまた第一二五の問答には、
「産(出産)のいみいくか(幾日)にて候ぞ。又いみもいくかにて候ぞ」
答「仏教にはいみということ候わず。世間には産は七日、又三十日と申すげに候。いみも五十日と申す。御心(まかせ)に候」
ここでは忌み(タブー)から解放された信仰の世界の展開がみられます。
またタブーからの解放とともに罪悪からの解放もまた法然上人の宗教改革の眼目でありました。その内容についてはたとえば、第六十五の問答の、
問「五逆十悪、一念十念にほろび候か」
答「疑いなく候」
の対談等がみられます。このように法然上人において念仏の信仰によってその頃まで支配していたマナ=タブー形式の束縛、また男女等における様々な束縛、そして罪悪等からの解放が遂行せられていったのでした。
マルティン・ルターの宗教改革はつとに有名で、彼においては「信仰のみ」sola fide の立場による伝統的な信仰からの解放が強調されたのですが、法然上人の場合、それにもまして壮大なる宗教改革の遂行が考えられるべきであります。そこには浄土宗の開祖としての法然上人と共に日本精神史の展開上における、最大の宗教改革者として改めて注目すべきなのであります。
なお呪術からの解放はヨーロッパにおいても極めて重要な意味をもつものでした。それはドイツ語で Entzauberung といいますが、それがやがてヨーロッパの近代を形成してゆく重大な要因となっていったのであります(Ent は脱 zauberung は呪術)。そして法然上人の念仏そのものもまた呪術からの脱却を意味するものでした。
それゆえに法然上人においては一声一声の称名において「順彼仏願故(かの仏の願に順ずるが故に)」(善導大師『観経疏』)による専ら超越的なはたらきとしての仏願による救済が説かれるところのものでした。しかしながら多くの人たちは余りにも強大な呪術的次元に堕し、その中にとりこまれていたので、それ故に念仏さえもが呪術的な思惟の中で考えられていたようです。かつて仏教新聞である『中外日報』は「念仏は呪術か」の問題をめぐって特集したことがあります。もちろん宗教学的な地平からはそのような問題提起も考えられなくもありませんが、法然上人の立場からみて超越的な、また宇宙の根源的な真理の上からいっても、より高遠な判断がなされるべきであります。
ただ念仏には万徳のはたらきがあるので呪術的な次元にもはたらきます。そのような点からいえば念仏は単に呪術を否定するだけでなく、その呪術をも含んでそれを止揚しており、それを包んで超えています。
「止揚する」はヘーゲルやマルクスが好んで使用したドイツ語の aufheben ですが、名号論にはそのような宗教学的哲学的地平からの考察も必要であります。
以上のような意味で浄土宗を立教開宗した法然上人はまたたぐい希れなる日本精神史上の宗教改革者でもありました。
また法然上人はそれまでの日本人の信仰であった「他界信仰」を止揚 aufheben した宗教者でもありました。
この他界信仰とは『古事記』等では「根の国」等ともよばれ、死者の赴いていく場所のことでした。現在は「死んだらそれで終わり」といった考え方が一般的となっていますが、しかし古代の日本人には「他界信仰」がむしろ現実的であったと考えられます。
しかしながら法然上人は他界信仰も大乗仏教の実践と結びつけ、死後の世界としての他界へゆくことを「往生浄土」ないし「往生極楽」の信仰へと、より高次の立場へ「止揚」されて説かれたのでした。「往生浄土」には法然上人において何よりも真理への悟入の意味もあったのでした。浄土教とはまさにかかる真如の世界へ悟入してゆくことに他なりません。
しかしながらここでもいえることですが、日本人が他界信仰に固定しすぎていたので、肝心の真の浄土、極楽の世界が、強大な他界信仰に吸収されている傾向が強いようです。
かつて柳田国男はその弟子(筆者の知人)に対して、「日本は殆ど仏教国になってしまった感があるが、その実体は仏教渡来以前の原始宗教の時代と殆ど変わるところはない」と云っていますが、ここでも日本宗教の伝統の強大さに驚かされるところです。それを突破するためにはよくよくの強固な信が必要でありましょう。
そのような点で阿弥陀仏の本願の救済を説く法然上人の宗教改革には大衆大衆に、その信心の変革が必要であります(「安心起行」が強調される所以)。そして一声一声の念仏が往生極楽の行となっているという点からいえば、念仏の行が真の意味で「往生浄土」の行になり、かかる意味で「他界信仰」からの脱却の遂行が考えられるのであります。かかる点からいって法然上人の念仏の信仰は、恐らく数千年、数万年以来続いてきたと考えられる他界信仰を止揚する──すなわち他界信仰の低次元性を否定して高次の浄土、極楽の世界に高め、往生極楽の立場への止揚が考えられるのであります。かかる法然上人の往生浄土は他界信仰そのものの完成というべきであります。そしてそれが何よりも称名念仏の中に開かれてゆくのであります。
以上、法然上人の教えを(1)脱呪術 Entzauberung の実践として、また(2)脱他界信仰(ここで脱とは生前と死後の両世界を包む阿弥陀仏の世界への躍入を意味します。)について述べました。そしてその決め手となるのが「南無阿弥陀仏」の称名なのであります。
称名とは言葉を発することであります。そしてその言葉とは何よりも呪術的な行為とも重なります。呪術の地平では、発せられた言葉はそのまま事実となって実現してゆく、といった世界であります。
たとえば『旧約聖書』の冒頭に「「光あれ」といわば光ありき」といった文章がみられます。発した言葉の内容がそのまま実現してゆくのが呪術の世界で、その点からいって Entzauberung (脱呪術)を誇っている私たちも案外そうでなく、たとえば試験前に「落ちる」「すべる」の言葉を避け、また結婚式上「わかれる」「離れる」等の言葉を不用意に使用しないといったことも、本当には私たち自身もどこかで呪術的な次元に囚われているのではないでしょうか?
しかしながら私たちはただ万徳の名号によってあらゆる呪術的思惟から解放されて、阿弥陀仏の世界へと救済されてゆくことが眼目なのであります。
(つづく)
- (本稿は2011年、浄土宗奈良教区主催の講演の内容を改めて文章化したものです。) [↩]
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