過去を変える 過去の事は変えることができません。それで、私たちは様々な後悔をします。 たとえば、亡くなった親に、もっとああしてあげれば、こうしてあげれば良かったと後悔することもあるでしょう。 このような後悔を仏教では泥に…
過去を変える 過去の事は変えることができません。それで、私たちは様々な後悔をします。 たとえば、亡くなった親に、もっとああしてあげれば、こうしてあげれば良かったと後悔することもあるでしょう。 このような後悔を仏教では泥に…
しばらく前に「千の風になって」という歌がヒットしました。「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」から始まるこの歌は、お墓や納骨堂のあり方を考えさせられるものとなりました。 月はどこにあるのかと問われればそ…
阿弥陀様を誉め称(たた)えること 私たちは、お互いの心が見えないことを良いことに、思ってもいないお世辞を言って相手を誉めたりします。たしかに人間関係を円滑にするためには必要な事なのかもしれません。 しかし、なんでもご存じ…
『阿弥陀様に礼拝(らいはい)すること』 浄土宗の日常勤行式の一番初めに、香偈(こうげ)という偈文があり、その中に「願我心如智慧火」という一句があります。「願わくば我が心、智慧の火の如くならん」という意味です。 私達の心は…
声と実存 二十世紀最大の哲学者の一人であったカール・ヤスパース Karl Jaspers(1883-1969)は、かれの哲学の核に限界状況(極限状況とも訳される Grenzsituation の訳)がある。それは人間が究…
お釈迦さまとウパリとの対話のつづき。 その他の弟子には静かなところでの修行をすすめているのに、なぜ私にはお許し下さらないのだろう。そんな疑問をウパリが抱いていることをお釈迦さまはお察しになり、さらに例えをもって説きました…
念声是一について 光明修養会上首 河波 定昌 さきに「名体不離」について述べました。すなわち阿弥陀仏の名号と阿弥陀仏ご自身の三身四智等の一切の功徳等の内容とが一体であるとのことを述べました。そしてそれを展開されたのが法然…
お釈迦さまは、弟子や信者の方が正しい道を歩むために、その人に応じたお説法をされました。 その弟子の中に、ウパリという者がいました。彼は僧侶となる前、身分が低く、学問などせず、ただ一生懸命、人にお仕えすることが仕事でした。…
名体不離について 光明修養会上首 河波 定昌 私たちは日常的には巷に流れる音や声の世界の中で生きています。しかしながらその音や声には私たちが想像する以上に心の奥底、否、宇宙の根源にまでかかわり、その音声の生じる根源は私た…
農家に、 「あなたが田を耕したり種をまいたりする姿を見たことはないぞ。いったいあなたの鋤(田をたがやす道具)はどこにあるんだ? あなたの牛はどこにいるんだ? またあなたはいったいどんな種をまいているんだ?」 そのように問…