名号の不思議03

名体不離について

光明修養会上首 河波 定昌

私たちは日常的には巷に流れる音や声の世界の中で生きています。しかしながらその音や声には私たちが想像する以上に心の奥底、否、宇宙の根源にまでかかわり、その音声の生じる根源は私たち意識の領域を遙かに超えています。そして声が言葉として捉えられる事については単なる意識の領域のみにとどまらず無意識の、そして無限の超意識までもの背景が考えられるのであります。そしてかかる音声の展開にはそれと呼応して聴覚の生起、形成、そしてそれが次第して耳が成立してゆくのであります。そして発展的には植物の段階においてさえ、その枝葉等に聴覚の存在(いわゆる耳以前の耳)が予想されるところであります(たとえばぶどうの木にモーツァルト等の音楽を聴かせるとよいぶどうが生育する等)、耳─聴覚の生成の背景にも宇宙論的ないとなみが考えられるのであります。
実に耳がどうしてできたかということは、目がいかにしてできたということ等と共に実に不思議の極みなのであります。それはまさに宇宙の神秘に充ちたいとなみといえるものであります。
仏教では五官の世界、すなわち眼、耳、鼻、舌、身、意の世界を説きますが、弁栄聖者はそれらの生成の根底に如来の智のはたらき、とりわけ四大智慧の中の成所作智等において述べられていますが、五官の一つ一つが実に不思議な存在なのですが、その中でも耳の存在に私たち自身の根源と、そして大宇宙そのものと一貫して関わっているのであります。
たしかに言葉とは私たち自身が発するところのものですが、かえってその言葉に逆に飲み込まれ、支配され、その言葉の中で生きることにもなるのであります。たとえば『毎日歌壇』の中の所載の歌の一つに、

  おだやかな 言葉使えば おだやかな
    心となるに ふと気づきたり

の歌がありますが、言葉が新しい心の地平を創造してゆくのであります。
 そして結果的には私たちは声(音声)と聴覚(耳)との空間で生きているのですが、それは偶然にそうなったのではなく、そもそもこの宇宙が成立するその原初から不思議な智慧(成所作智)が存在し、はたらいていて、そこからそのような音声と耳の世界が出現したと考えられます。なぜ音声が、そして耳があるのかという問題は、それ自身宇宙の秘密義なのであります。
 たとえば『新約聖書』の「ヨハネ伝」の冒頭に、

  始めにロゴス(言葉)ありき、
  ロゴスはすなわち神なりき、

の文がみられます。ロゴス Logos はギリシャ語で言葉とも訳されますが、その語義は深渕そのもので、真理、法則等とも訳され、私たちが普通考えている言葉の領域も遙かに超えて、それでもなお言葉として訳す他もないので言葉と表現されているのです(なおドイツの偉大な文豪ゲーテも「ヨハネ伝」のこのロゴスを如何に訳すかについて悪戦苦闘しました)。
このロゴスはキリスト教の成立する以前にすでにギリシャ初期の哲学者ヘラクレイトス(紀元前500年頃)の思惟の中にみることができます。それは流転する万物を貫くものとしてであります。そしてそれはやがてキリスト教における神としてのキリスト自身に連なってゆくのであります。すなわち歴史的なイエス・キリストが「主の祈り」において天に在ます神に向かって、「神のみ名があがめられますように」(マタイ伝六・九)と神のみ名への讃美がみられるのであります。それは歴史的なイエスを超えて、そのイエス・キリストさえもそこから出て来たロゴス、すなわちキリストの先在 Preexistenz がみられるのであります。しかもこの文は「我と汝」との呼びかけで始まっていますので、その神の名も音声の中で成立していることも重要です。そこには原初の呼びかけそのものとしての、神への呼びかけ、そして神の声を聴従する耳(私自身)との根源的な呼応関係が存在しているのです。そしてその全体がロゴスの中にあるということもできるでしょう。
真言密教においても、真言の言葉が示しているように真理そのものであり、ロゴスに他なりません。真言の成立の背景も遙かに古く、インド文化の始源たるヴェーダの時代にまでさかのぼり、それはミーマンサ学派の「声常住論」─音声が歴史を超えて永遠に存在する─等に発展し、その豊かな言葉の精神的伝統を受けつぎながら弘法大師空海(774-835)の『声字実相義』に結晶していくのであります。それは「声字がすなわちそのまま実相(大日如来に他ならず、阿弥陀仏ご自身に在ます)」というのであります。そしてかかる実体(阿弥陀仏)が声へと点化 Punktualisierung すなわち私自身へと一点に集中することを意味しています。この点化という言葉は山本空外博士がドイツの哲学者P・ナトルプ(1854-1924)の言葉から引用されて使用された言葉でもあります(『念仏の哲学』)。そこには名(言葉)とそれを表現する実体とが不離にして不二(すなわち名体不離)であることを示すものに他なりません。そしてこの名体不離は何よりも念仏の実践の核となるものです。
 すなわち南無阿弥陀仏という名と阿弥陀仏のご実体とが相即不二であって、そのことを前提とした上で念仏行が実践されてゆくというのです。すなわち念仏の実践においては「名の外に体(実相)なく、体の外に名なし」なのであります。

大乗仏教はインドにおいて紀元前1世紀頃に成立し、豊かな展開がなされていったのですが、その前期から後期にかけて全般的な傾向として視覚的な見、たとえば「見仏」「見光明」等が主たる特徴となるものでしたが、後半になって次第に「聞」の契機がクローズアップせられてゆきました。そのことはたとえば極楽世界を頂くにしてもその世界が「光の空間」であると共に『無量寿経』等にも説かれているように音声の鳴り響く空間でもあります。そしてそれは大乗仏教の完成期(紀元400年頃)に成立したと考えられる『観無量寿経』に極まるのであります。
『観無量寿経』は見方によってその経の前半の念(想)の段階と後半の称の段階に分けることもできます。
念の段階では、たとえば、

心に仏を想(念)う時、【中略】この心、仏と作る、この心、これ仏なり(是心是仏)。

の文にもみられるように、私たちが仏を念ずることにおいて仏に作ってゆくことが説かれています。それはなぜかというと宇宙に遍満する如来(法界身)が私たちの心の内に「入」ってくるからであり、「入」を意味するサンスクリット語 avatāra には現れる、すなわち念仏する念に阿弥陀仏の全体が現れ出てくることの意味も考えられます。その点では念仏の念がそのまま仏へと転換し、念の全体が仏そのものになってゆくことを意味します。かかる意味でこの経の説く「是心作仏、是心是仏」はインド大乗仏教の到達点とも云えるでしょう。
そしてこの『観無量寿経』の後半は前半で説かれた「念即仏」(是心是仏)が更に称名の一点に結帰してゆくのであります。そこには極重悪人の凡夫たる私たちを予想してのことですが、

汝もし念ずることあたわずば(前半の立場を超える)、まさに無量寿仏と称すべし。と。是のごとく、至心に声をして絶えざらしめ、十念を具足して南無阿弥陀仏と称す。仏名を称するが故に、念々の中において八十億劫の生死の罪を除く。

と示されています。ここで「汝もし念ずることあたわずば」で、念から称への決定的な転換がみられるのであります。しかしながらそれは単なる念の否定ではなく、称への念の止揚であります。まさにその称において念が完成してゆくのであります。まさにそこに「念声(称)是一」が成立します。その声(称)は、念と対立した声(称)ではなく、念声(称)是一の念であり、念は限りなく声(称)において実現せられてゆくのであります。

(次号に続く)

カテゴリー: 上首法話, 月刊誌「ひかり」, 法話

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