千の風になって

しばらく前に「千の風になって」という歌がヒットしました。「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」から始まるこの歌は、お墓や納骨堂のあり方を考えさせられるものとなりました。
月はどこにあるのかと問われればそれは宇宙にあります。しかし私たちが月を眺めると「今日のお月様はきれいだな」と、月と私たちの心が一つになって私たちの心を感動させます。
ちょうどそれと同じように、亡くなった人は、どこにおられるのかと問われれば、それは極楽世界におられるのです。私たちが亡くなった方々を想い祈らなければ、遙か彼方の遠い世界におられて、ふれ合うことはありません。しかし私たちがお墓や納骨堂を通して手を合わせる時、なくなられた方の想いと一緒になって阿弥陀様のご功徳が流れ込んで、亡くなった人だけではなく、この私たちも幸せになっていくのです。このことを『霊応(れいおう)』といいます。
そしてお寺の本堂や墓地や納骨堂というのはその霊応がもっとも宿りやすい場所なのです。その場所で祈ることによって阿弥陀様や亡くなった人が実はとても近しい存在であることがだんだんと実感でき、どこにいても南無阿弥陀仏と称えることによって心の内にいてくださるようになるのです。

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*