ふみつけられる

「ふみにじる」ということば、知ってるよね。
「友達のやさしさをふみにじる」そんな使い方をするよね。
そのことばの元は、人の心のことではなく、お花などの植物をふんでめちゃめちゃにするという意味です。「にじる」というのは、じりじりとおしつけるという意味。
きれいにさいているお花をふみつける人はとってもひどい人だよね。

お花をふみつけちゃダメ
人の心もふみつけちゃダメ

親や先生にそう教わってきました。
じゃあ、なぜ親は「いけません!」ときびしくしかったりするのでしょう。しかられた子はわんわん泣いています。子どもの心を傷つけているじゃないか!

親がしかってくれるその意味ちゃんとわかってる?
そのヒントを「麦」が教えてくれます。麦茶の麦ね。

麦

©ASIM / PIXTA(ピクスタ)

麦はりっぱに育つために、ふみつけられます。それもかわいそうなくらいたくさん。麦はふみつけられることによって実は、「エチレン」という物質をだし、その「エチレン」は茎を太くします。太くなると風などで倒れない強くてりっぱな麦になります。
麦をいじめるためにふむのではなくて、強くするためにふんでいるんだ。すごいね、麦。

麦はふまれて強くなる。
人もふまれて強くなる。

友達をふみつけちゃダメだけど、もし自分がふまれたら、
「あっ! 強くなるチャンスだ」
そう受けとめてみよう。

泣きべそ

©inet / PIXTA(ピクスタ)

カテゴリー: 子供と一緒に, 月刊誌「ひかり」, 法話

光明主義は日本的霊性の完成03

──第3節 光明主義は縄文的霊性の完成──

光明主義には弥生的霊性の完成にとどまらず、それをも突きぬけて縄文的霊性の完成の意義もあります。

弁栄聖者の霊性や鈴木大拙博士の「日本的霊性」にもみられるように、日本には霊性の豊かな展開がみられるのですが、その背景には、更に一万数千年にも及ぶ縄文的霊性の展開が予想されます。それは近代の理性中心主義の動向に揺らぐようなものではなく、それをも突破して現代に至っているのであります。

「縄文的霊性」という言葉自体、聞き慣れない言葉ですが、それは縄文時代と称せられる時代が食物採集経済であり、その経済的、また考古学的次元で主として考えられ、より深い人間的霊性の次元で考えるところにまで及ばなかった点も考えられます。しかしながら、恐らく一万数千年にも及ぶ縄文文化の展開のプロセスに、そこに活動していた人間の心の世界が単に原始的として無視されるべきではありません。

そのことは無数に発掘される縄文土器にもその片鱗をみることができます。たとえばその典型としての火焔土器に火の霊性を予想するがごときであります。いちはやくそのことに気づいていったのは近現代における造形芸術にたずさわる人たちでした。たとえば版画家の棟方志功、太陽の塔を作った岡本太郎、そして水墨画家の岩崎巴人等で、彼らは縄文文化のすばらしさに目ざめ、その文化に圧倒されていった人たちでした。まさに彼らにおいていわゆる縄文ルネッサンスが確立してゆきます。そして彼らにおいて縄文的な特色が彼らの近代的制約を突破して躍動しています。

たとえば岩崎巴人は小林古径の門人の一人でしたが、また縄文文化そのものを生きた人でした。彼はインドにゆき、ふとした機縁で念仏門に帰依してゆくのですが、その後は「画僧巴人」の名で数多くの仏画を残しています。たとえば、彼の画く観音像には縄文文化の躍動した姿がみられます。すなわちそこでは仏教の理念たる観音菩薩が縄文文化を否定するのでなく、その全体を活かしながらむしろそこで縄文文化の完成さえみられるのであります。

ところでそのような「縄文的霊性」ということが考えられるのも弁栄聖者においてのことでした。

大乗仏教においても数千年にわたって、人間の根源的主体性としての独自の霊性文化の展開がありました。それはたとえば仏性、如来蔵、仏種、法種等、それらは無数の大乗経典において論じられているところです。しかしながら、それらが仏教用語にとどまる限り、このような仏性等の思想がいかに展開されたとしても、弥生的霊性、縄文的霊性等とは無縁のものでした。しかしながら、これら仏性、如来蔵等の言葉を聖者が霊性ということばにおきかえられることによって、一挙に仏性、如来蔵等の思想が弥生的縄文的霊性へと開かれてゆくことになったのです。かくて大乗仏教の根幹としての仏性、如来蔵思想が日本的霊性と通入してゆくのであります。

確かに仏教は紀元六世紀頃日本に入ってくるわけですが、たとえば阿弥陀仏というみ名が導入されて阿弥陀仏信仰が起こるわけですが、その名の有無にかかわらず、日本において縄文時代から阿弥陀仏ご自身ははたらいていたというのが真実でしょう。たとえば弁栄聖者のご道詠である、

  我がみ仏の慈悲の面
    朝日のかげに映ろいて
  照るみ姿を想ほへば
    霊感極まりなかりけり

(「諸根悦予讃」より)

に歌われる朝日は実は縄文人たちにも耀き、霊性的感動を与えていたことが考えられます。彼らは阿弥陀様を阿弥陀様と気つかずに、実に阿弥陀様そのものを拝んでいたのであります。「朝日を通して朝日となっているものを拝む」とは田中木叉上人の常の仰せでしたが、ここで朝日でなく、「朝日となっているもの」とは阿弥陀仏ご自身のことに他なりません。

信州唐沢山は念仏の霊地ですが、この山を開かれた弾誓上人(1551~1613)や徳本上人(1758~1818)において始めて聖地になったのではなく、恐らく数千年以上も前から縄文文化の聖地で、むしろその神聖の雰囲気を機縁として阿弥陀寺が開山され、更なる聖地として深められていったことが考えられます。

縄文人にとって唐沢山が聖地となるについては、その山河大地等があります。その前面に横たわる諏訪湖は神聖そのものであり、その湖に沈んでゆく夕日の神々しさは限りなく縄文人にとってもその霊性を喚起せしめていったのであり、弁栄聖者の朝日の歌とどこまでも共鳴しています。また唐沢山の豊かな森、滾滾と湧き出る水、そして神聖な洞窟等、すべてが縄文文化の霊性の原点であります。私たちも唐沢山に登る時、一種の神聖な感じが生じ、いわゆるそこに霊的な感応道交が感じられますが、とりわけ弾誓上人と唐沢山との間にも縄文的霊性との感応道交があって、そこに念仏三昧の道場の建立が考えられるのであります。

なお、採集(狩猟)経済としての縄文文化にとって、月は決定的に重要な要因となっていました。たとえば漁猟等などでも満月の夜は猟に出ないといった生活のリズムです。しかしながら月は縄文人にとって、その霊性そのものを深める不可欠の要因でした。日本人の美意識を育てたとされる雪月花には、それ以上に霊性的文化との関わりが考えられます。月は「百人一首」や多くの和歌集にも詠われていますが、それとても縄文文化以来の連続線上の事柄に他なりません。

たとえば、薄やお団子を供える「月見の行事」も原始時代からのいとなみで、それは決して私たち近代人が考えるような主観と客観との関係の事柄にとどまるものではなく、そこで月が私になり、私が月になる入我我入の実践が行われ、主―客分裂関係の突破が考えられるのであります。たとえば、

  秋風にたなびく雲の絶え間より
    もれ出ずる月の影のさやけさ

(百人一首、左京大夫顕輔)

において私がさやけき月を見ているというよりは、私が月のさやけさに打ち破られて、月のさやけさが私になり、私が月のさやけさとなり、かかる月との入我我入の地平において人間の心の形成がいとなまれてゆきます。歌が単なる芸術活動にとどまらず、人間形成論としての「道」(歌道)にかかわっているのですが、まさにかかる構造において縄文的霊性の展開を考えることができます。

このような月との感応道交は文字化される段階に至って無数の月の歌が創作されてゆきました。そしてその中の多くの歌が、その月のもつ清浄さ、円満性(望月)等において、たとえば明恵上人の、

  あかあかやあかあかあかやあかあかや
    あかあかあかやあかあかや月

は、月の明澄性と一体化した、いわゆる西田幾多郎の「純粋経験」の世界そのものであります。あるいは完全性の理念(たとえばカトリックにおける「完徳」perfectio の理念)も望月(満月)の原始的体験から生じていたことも考えられます。

また、その月は阿弥陀仏との一体化が縄文文化においても不識的に進められていたのであり、それが入我我入の体験として展開されていったことが考えられます。そして「入我」の面で法然上人の「月かげの歌」すなわち、

  月かげのいたらぬさとはなけれども
    ながむる人のこころにぞすむ

の歌はそのまま「我入」の面としての弁栄聖者の、

  月をみて月に心のすむときは
    月こそおのがすがたなるらめ

の歌と一体化して展開されているのであります。そしてこれら月の歌が法然上人や弁栄聖者の月に即しての宗教体験の世界が詠じられながら、それらは又限りなく縄文的霊性と連なっていくことも考えられるのであります。

なお、日本語自体も一万年以上にわたる縄文文化の展開のプロセスの中から成立していったもので、それは神聖な言霊としてでありました。かかる日本語(やまとことば)は膨大な漢字文化の洪水に面しても、たとえば万葉仮名にもみられるように、微動だにもしませんでした。そして恐らくたとえば持統天皇の御歌、

  春すぎに夏来にけらし白妙の
    衣ほすてふ天の香具山

にもみるように、千数百年の隔てを超えて私たちに連なっているように、そのやまとことばも縄文的言葉と連なっていて、その言葉の連続性は日本的霊性としての連続性と連っているのであります。

法然上人および弁栄聖者の両歌にみられる「すむ」の語は漢字文化の出会いによって、住む、澄む、済む(完成)に分解されていったのですが、両歌においてはそれら分解以前の、恐らく原始縄文語の平仮名の「すむ」であり、「住む」「澄む」を含意しながら「済む」、すなわち霊性の完成が歌われているのであります。

以上

カテゴリー: 上首法話, 月刊誌「ひかり」, 法話

お念仏の現世利益2

現在を変える

南無阿弥陀仏とお念仏をお称えする人は、いつも心の中に阿弥陀様が住んでくださいます。
しかし私たちは凡夫ですから阿弥陀様が心に住んでくださっていても、ついつい悪い心がおこってしまいますね。

ですが、阿弥陀様が心に住んでいる方は、
「あぁ、こんな事をしていたら阿弥陀様が悲しまれるだろうな」
という思いが起こってきて、だんだん悪いことができなくなってきます。
「こんな良いことをしたら阿弥陀様が喜んでくださるのではないかな」
という思いに引っ張られて、どんどん良い行いができてくようになってきます。

阿弥陀様は極楽浄土と呼ばれる遥か彼方の彼岸の世界におられます。
しかし南無阿弥陀仏とお称えすると、阿弥陀様の方からこちらの世界の私の心に来てくださるのです。

皆様お彼岸の期間は、南無阿弥陀仏の一声一声に、阿弥陀様を心にお迎えして、それぞれができる範囲で良いことをしていきましょう。

カテゴリー: 大願寺, 大願寺だより, 檀信徒, 法話

安全基地

養育行動という私の概念の中心となるのは、両親による安全の基地の提供である。子どもや青年は,その安全の基地から外の世界に出ていけるし、戻ってきたときには喜んで迎えられると確信して帰還することができる。身体的にも情緒的にも糧を得ることができ、疲労困憊しているときには慰めが得られ、恐がっているときには安心が得られるのである。要するにこの役割は、励ましや援助が必要なときにはいつも利用でき、それに反応する用意がされている状態ではあるが、明らかに必要なときにしか積極的に介入することはないものである。

ジョン・ボウルビィ著『母と子のアタッチメント─心の安全基地』

安全基地(a secure base)は、ボールビィのアタッチメント理論の中核をなす考え方です。

阿弥陀様や極楽浄土を、このボウルビィの安全基地のように捉えることができるのではないでしょうか?

浄土宗の二祖・三祖の書物には、阿弥陀様を「母」や「父」と表現している箇所が散見されます。それらは、子を思う(念う)親、親を思う子の関係として、南無阿弥陀仏と称えるお念仏を継続しているうちに築かれていく信頼関係のようなものが説示されています。

親子は、信頼関係を築くために生活しているというよりは、長い時間を一緒にすごすことによって、自然と信頼関係を築いています。お念仏も同様で、阿弥陀様と信頼関係を築くためにお念仏をするというよりは、必ず救いとって捨てることはない(摂取不捨)の御心に念念に触れていくことによって、自然と阿弥陀様との信頼関係が築かれていくに違いありません。

お念仏を実践しませんと「極楽浄土」は、どこまでも、死後の出来事であり、そのような世界があるのかもしれないという知識にとどまってしまいます。しかし日ごろからお念仏をする人は、いつか「極楽浄土」に往生することができるということに大いに安心が得られ、この生きて死んでいく世界においても死に恐怖することなく生きていけるのではないでしょうか?

カテゴリー: 仏教, 勉強, 読書

子供にとって必要だから

私は、就寝前に子供と一緒に絵本の読み聞かせをしています。
子供は気に入った本があると、同じものを何度も読んでとせがみます。
今のお気に入りは、しんかん君シリーズです。

親にとっては、何度も同じものを読むのは抵抗があるものです。
それよりも、別の絵本を読んであげたいと思うこともありますし、
そもそも絵本自体を読むことが面倒なこともあります。

ですが、先日PHP出版の「のびのび子育て」という雑誌を読んでいますと、
以下のように書かれていました。

同じ本を何度も「読んで」とせがまれることがあります。子どもにとって必要な何かがその本にはあるのでしょう。必要なものを吸いつくしてしまえば興味は移っていきます。求めるだけつきあうと良いでしょう。

PHPのびのび子育て 2013年3月号 p.56

同じ絵本を何度も読むことも子供にとっては必要なことなんですね。

カテゴリー: 勉強, 読書

ひかり2013年04月号

ひかり誌2013年05月号表紙

ひかり誌2013年04月号表紙

弁栄聖者 今月の御道詠

うれしさの あまりに落つる 涙をば
 我がころもでに つつみかねつつ

仏蹟参拝『日本の光』

05 光明会各会所年間行事
06 聖者の俤(おもかげ)其二十八 中井 常次郎
08 光明主義は日本的霊性の完成 その2 河波 定昌
11 感動説話「盲人の勘」 明千山人
12 子供といっしょに学びましょう 38
14 光明主義と今を生きる女性 花岡 こう
16 光り輝く淨土への道71  山上 光俊
20 能生法話「時はいのちなり」 辻本 光信
21 図書案内
22 自他不二への向上み その7 佐々木 有一
24 お袖をつかんで 吉水 岳彦
   「第十一歩 不遜な心と敬虔な心」
26 薬膳料理
28 聖者の霊筆 その6
30 写仏のすすめ
32 支部だより
36 「法のつどい」ご回向お申し込み用紙
37 特別会員及び賛助会員のお願い
38 清納報告・財団レポートこちらひかり編集室
39 書籍のご紹介・こちらひかり編集室

カテゴリー: 「ひかり」目次, 月刊誌「ひかり」

弁栄聖者の俤(おもかげ)28

◇〈弁栄聖者ご法話〉聞き書き その一(別時の説教)〈つづき〉

▽授戒
一月二十八日の朝八時から授戒会が始まった。本堂には三昧仏が掛けられ、幕が張りめぐらされ、四、五十人の信者が集まった。念仏を申し、礼拝儀を称え、お説教を聞き、又念仏を申すという順序で、毎日お勤めを繰り返すのであった。正午になれば、一同は念仏を申しながら上人のあとに続いて本堂から下り、食堂に入る。そこにはコ字形に卓が列べられてある。一同十念を称えて箸を執る。村人はまたたくひまに食べ終る。御飯が固く、歯の悪い自分はいつも最後になった。一同十念して席を去れば、残りの人達は代って卓に着き、食事をした。

夜、上人は私に、学園の生徒に何か話をしてやってくれる様にと仰った。自分は話がへたであるから、恥をかくかも知れぬと思ったが、上人の仰せだと、よろこんでお受けした。後日、弁信君から聞いた事であるが、風呂の追いだきをしていた弁信君に向かい、上人はお風呂の中から、
「弁信、帝大の先生が来られたぞ」
と私がお供して来た事をお喜び下さったという事である。知識階級に光明主義の火が着きかけたのを御満足に思し召されたのであろう。

上人は徳永さんと私に、十二光仏の講義を、引き続き聞かせようといって下さった。

自分は二人の娘と共に毎夜、上人と火鉢をへだてて座し、色々のお話を承った。そして私はいつも筆記を怠らなかった。この数日のまどいに於て、生涯忘れられぬ清浄円満なる家庭の姿を見出した。慈愛と威徳の権化ともいうべき上人を父とし、信仰にあこがるる三人の兄妹が、身は他人であるけれども、心は永遠に離れぬ霊的血脈の通う仲である。この敬と愛とに調和を得た暖かき、何ともいえぬ聖なる親子、兄弟の悦びを、地上のどこに見出す事ができようかと思った。

二十九日の昼食後、上人は又私に、本堂で皆に、当麻へ来たわけを話してくれる様に仰った。徳永さんは、村の小学校で娘達に話をされた。この村では、名士が来ればいつも小学校でお話をして貰う習わせ〈習わし〉だという事である。私共は名士では無いけれども、頼まるるままに小学校へ出かけた。私はその夜、青年達に信仰について、特に弁栄上人の偉大さを感ずるままに述べた。

三十一日の朝、御飯を頂いたあとで、私は上人に申上げた。
「初め法蔵寺でお目にかかった時、気分が変った様に思いました。家内も其時から食物について世話がなくなったといいます。このたびは、長らくお側に置いて頂きましたから、家庭にめざましい変化を来たすであろうと思います」
と、申上げた。上人はただ、一言、
「うつり香ですね」
と、ささやかれた。これこそ、自分にとり、生涯忘れられぬ冷汗を覚ゆる大痛棒〈心に響く痛烈な一言〉であった。孔あらば、はいりたい思いがした。あすはお別れという朝、頂いたこの有難き御誡めを今に耳新らしく、思い出す度に、心している。

五日間の授戒会の終る二月一日に、御剃刀を受け、袈裟と戒名を頂いた。その夕方、なつかしい当麻をあとに、村人達と別れ、上人のみもとをしばし離れて京都へ帰る事になった。
いざお別れという時に、上人は、私を呼び止め、
「中井さん、今、あなたは当麻で死にます。あすは京都に生まれます。けれども自分には切れ目が有りません。浄土に生まれるのも、これと同じです。三昧状態で、醒めて生まれます」
と、いって下さった。私は、それを聞きうれしく、頼母しく思った。この短いお言葉が、その後、私の口を通して、幾多の人の信仰に正気を与えたか、今に偉大な働きをしてくれる。

〈つづく〉

カテゴリー: 弁栄聖者の俤, 月刊誌「ひかり」

光明主義は日本的霊性の完成02

──第2二節 光明主義は弥生文化(稲作)的霊性の完成──

さきに日本文化の重層的立体性の構造について述べました。即ち大乗仏教的地平、その背景に弥生(稲作)の文化の地平、そして更にその奥底に縄文的文化が存在していて、それら三者が相互に立体的に重なり合いながらその文化が深められていったということ、そしてそれぞれの文化にそれぞれ独自の霊性の展開が考えられ、それらが究極的に弁栄聖者の光明主義によって完成せられていったということであります。

日本の仏教もその豊かな先行する霊性文化なくしては考えられません。インドでさえもイスラム教によって仏教は殆ど根を絶たれ、中国においても共産主義によって殆ど完全に否定されてしまいました。しかしながら大乗仏教が日本においては世界のあらゆる文化や思想が受け入れられながらも生きて活動しているのは、その背景に豊かな縄文的弥生的霊性の基盤があったからに他なりません。しかもそれらは、決して直線的に前の文化を否定して新しい文化を創るというのではなく、相互に相い重なりあいながら発展していったことが考えられます。そのことはたとえば「山川草木悉皆成仏」という言葉において仏教渡来以前の天地万物に神々をみていたアニミズムの世界が仏教の世界において止揚されている、といった点からも容易にうかがうことができます。

そして日本において豊かな大乗仏教の展開がみられるのは、その背景に先行する豊かな霊性的基盤があったからであるということができます。そこに日本が「大乗仏教有縁の地である」との所以も考えられるところです。

そして光明主義が大乗仏教を完成せしめてゆく(究竟大乗)とともに、そのことに即して稲作を中心とする弥生的霊性等の完成の遂行も考えられるのであります。

稲作文化自身に関していえば、それに先行する縄文文化が食物採集経済であったのに対し、食物生産革命でした。そしてそれは経済的にもそして精神的にも飛躍的な文化を形成していました。そしてその精神的内面性へのアプローチは単なる考古学的地平を超えて豊かな霊性文化の展開を予測することができます。

そのことはインドにおける紀元前五世紀頃の仏教成立の視点からも考えられることができます。たとえば釈尊のご父君であられた浄飯王の名からも知られるように、当時すでに稲作の存在を予想されるところでした。浄飯王のインドの原語名シュッドーダナ Śuddhodana には白飯、浄飯を意味する飯 odana の語が含まれていますが、浄飯には「清らかなご飯をもつの意」とされているように(前田專學『ブッダ─その生涯と思想』参照)、食物生産による豊かな社会が成立していたことを想定することができます。

このように稲作はインドにおいて古くから行われており、仏教との関係について考えるべきでしょう。また中国においても古くから稲作はなされており、それが日本に渡来して日本文化を飛躍的に発展せしめていったことが考えられます。

日本において稲作文化としての弥生文化は紀元前4~3世紀頃と考えられていましたが、新しい考古学では紀元前九世紀頃まで遡る説さえ出てきています。そして稲を中心としてその豊かな宗教儀礼等の発展もなされてゆきました。宮中の最も重要な儀式の一つである新嘗祭は神と共に新しく収穫したお米を神に供え、神と共に戴く儀礼であり、米を中心とした宗教文化の展開がなされてきたのでした。

稲は単なる食物としての米にとどまらず、稲霊あるいは穀霊として、弥生人にとって神そのものであり、それを中心とした文化の発展が営まれてきたのです。

また、釈尊の物語には「心田」の喩がでてきます。一般の人は田を耕しているが釈尊ご自身は心の田を耕しているとの喩えです。そしてその精神はそのまま田中木叉上人の「心田田植歌」に直流しています。たとえば、

  山は青々     日はうらら
  田には漫々    慈悲の水
  秋はみのらん   無量寿を
  うたえ南無阿弥  田植歌
  青い稲葉は    その中に
  白いお米の    みのるため
  死ぬるからだは  その中に
  死なぬいのちの  そだつため

の歌は弥生(稲作)文化がそのまま大乗仏教の精神そのものとして躍動してはたらいていることが考えられます。

このようにお米そのものが大乗仏教における仏種子の概念等とも結びついて更に豊かな展開がなされてゆくことになります。

大乗仏教における代表的な経典として『勝鬘経』(詳しくは『勝鬘師子吼一乗大方広方便経』)があります。その中の一偈文、すなわち、

哀愍覆護我 令法種増長
此世及後生 願仏常摂受
(哀愍して我を覆護し 法種をして増長せしめたまえ 此世及び後生 願わくば仏 常に我を摂受したまえ)

の偈文は善導大師もよくよく重視されたと見え、『往生礼讃偈』には六回も反復して引用されています。そこには植物の種子、とりわけ稲と『勝鬘経』の説く法種(すなわち仏種または如来蔵、仏種)とが限りなく重なりあっています。

弁栄聖者の十二光の体系において最後の三光はそれぞれ難思光(発芽)、無称光(開花)、超日月光(結実)として説明されていますが、それらは仏教の悟りの展開が植物の生育の喩えで説明されています。そしてそのことでまた稲作文化としての弥生的霊性の展開が大乗仏教の霊性的世界に限りなく通じあっている点が考えられます。

弥生文化にとってお米は穀霊ないし稲霊として神そのものでした。二十一才まで農業に励まれた弁栄聖者においてそれは阿弥陀様と一体化して展開されてゆくようになります。いわゆる米粒名号がそれで、お米は南無阿弥陀仏の名号と一体化して、弥生文化そのものを完成せしめてゆきます。そこにすでに聖者においても光明主義における弥生文化の完成をみることができます。

この米粒名号について田中木叉上人は『日本の光』の中で、明治三十二年の一寺院の法要において、

……米粒を洗わせておいて、左手の平(ひら)につまみ入れ、親指と人指し指でつまみ上げて、右の手で書かれる。時に謁見者と話しながら書かれる。その間には説法もある。つづけざまに書かれて凡そ六千の人数の全部に行き渡り、参詣者は入り替り米粒名号を頂いて帰るという風で、皆々驚嘆の外は無かった。……

(同書、二二〇頁)

そしてそれが念仏の一般大衆への結縁となっていったのである。

このような米粒名号におけるいわゆるミクロコスモス(小宇宙)としての米粒は阿弥陀仏としてのマクロコスモス(大宇宙)と相即し、南無阿弥陀仏と一体化してゆくのであり、そこに巨大の構成が動いています。そして弁栄聖者ご自身が米粒名号においてみずからがミクロコスモス(小宇宙)になりつつマクロコスモス(大宇宙)にもなっています。

このマクロコスモスとミクロコスモスとの相即関係は、たとえば「一微塵中、三千大千世界の経巻あり」とする大乗仏教経典たる『華厳経』(如来性起品)等にも豊かに展開されている思想ですが、その内容が弁栄聖者の米粒名号において躍動してはたらいていることに驚嘆をおぼえます。

このマクロコスモスとミクロコスモスとの関係はヨーロッパにおいてはニコラウス・クザーヌス(1401-1464)等においても豊かに展開されていました。しかしながら、ヨーロッパにおいて近代科学の発展とともにかかる宇宙論は崩壊してゆきました。しかしながら豊かな弥生文化と大乗仏教の一体化した光明主義の土台の上に新しい宇宙論の展開を望むことができます。弁栄聖者においては、かかる大宇宙=小宇宙相即関係については、たとえば、

  いと微なるアミーバとまでへりくだり
    されどまた本のビルシャナ

(『道詠集』七三頁)

と詠まれたりもしています。大宇宙たるビルシャナと小宇宙たるアミーバとの相即が弁栄聖者において展開されていったのです。

なお弥生的霊性はたとえば伊勢神宮にも集中してあらわれています。仏教とは無縁のイギリスの歴史学者A・トインビーや、同じくイギリスの元首相であったサッチャー夫人等も伊勢神宮に詣でて感動し、その霊的雰囲気圧倒されました。特殊的とも思われる伊勢神宮にあらわれ出ている日本的霊性に彼らが感動している点で、その弥生的霊性に世界的な普遍性がみられます。そしてそれを完成せしめていった光明主義こそは、まさに真のカトリック(普遍的)と称するに価するでしょう。

(つづく)

カテゴリー: 上首法話, 月刊誌「ひかり」, 法話

心をきれいにする方法

おシャカさまが、布のたとえの話をおえると、スンダリカという人が質問しました。

「では、おシャカさま、パーフカー河にいきましょうか?」

昔からインドでは、水に心をきれいにする力があると信じられ、河の水につかる習慣があります。
おシャカさまが心をきれいにする話をしてくださったので、このスンダリカはとうぜん、おシャカさまはどこかの河の水につかって心のよごれを洗いきよめると思ったのです。
しかし、おシャカさまはその質問にたいして、

「パーフカー河、アディカッカ河などの河の流れに、おろかな人たちは身を浴しますが、心のけがれをきよめることはできません!」

そうはっきりと説いたおシャカさまは、その後に、

「心きよきものはつねに、春の祭りのように心の中が喜びにみちています」
「心に思うことがきよきものは、つねに反省の心があります」
「心がきよく、行いがきよらかなものは、おのずと心のやすらぎをえることができます。スンダリカよ、河ではなく、毎日の生活の心がけと行いをもって心をきれいにしていきなさい」

このように、おシャカさまは、お説きくださいました。
よくテレビで滝にうたれて修行する様子を見かけるよね。あの修行も心に気合いをいれるのにはとってもいい修行です。
でも、おシャカさまは心をきれいにするためには、それよりも毎日の生活の中で、心をきれいにする心がけと行いをしなさいと説いています。大切なことって、滝にうたれるような派手なことではなく、実は地味なんだよね。
たとえば誕生日に、ほしいものを買ってもらいました。「ありがとう」と満足し感謝する心はきれいな心だね。「もう一つほしかったのに!」と文句を言っているのはよごれた心。そんな心が出てきたら、しっかり反省して、次からそんなことは言わずに、「ありがとう」という。それが、毎日の生活の心がけと行いということ。

法然上人や弁栄上人というおぼうさんが、「心に仏さまという尊いものを思うと、心も尊くなっていきますよ」と説いています。これは、心の布を仏さま色にそめるということだ。そして、日々の生活で反省をし、仏教徒の習慣(戒)をまもるという心がけと行いは、よごれた布をごしごしと洗うということだ。
お釈迦様とありがとう

カテゴリー: 子供と一緒に, 月刊誌「ひかり」, 法話

ひかり2013年03月号

ひかり誌2013年03月号表紙

ひかり誌2013年03月号表紙

弁栄聖者 今月の御道詠

あとを見て 我あくがるる 浜千鳥
 鳴く一声を きくよしもがな

『日本の光』

05 光明会各会所年間行事
06 聖者の俤(おもかげ)其二十七 中井 常次郎
08 光明主義は日本的霊性の完成 その1 河波 定昌
11 感動説話「おかげさま」 明千山人
12 子供と一緒に学びましょう 37
14 光明主義と今を生きる女性 上田 茉莉
16 光り輝く淨土への道70  山上 光俊
20 能生法話「伝道」 辻本 光信
21 掌木魚のご案内
22 お袖をつかんで
   「― 第十歩 わたしたちの眼差し ―」吉水 岳彦
24 自他不二への向上み その6 佐々木 有一
29 ひかりの輪 光明学園
34 聖者の霊筆
36 写仏のすすめ
38 支部だより
42 図書案内
43 財団レポート、清納報告
44 収支報告
46 特別会員及び賛助会員のお願い
47 こちらひかり編集室

カテゴリー: 「ひかり」目次, 月刊誌「ひかり」