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多くの場合、光明主義は浄土宗の改革運動としてみられています。殆どの浄土宗の僧侶たちもそのように思っています。筆者自身も全くその通りで、浄土宗僧籍があり、光明主義が伝統的浄土宗の変革運動であると思っています。
しかしながら本当を云えば光明主義は決して一つの宗派としての浄土宗の変革のみにとどまるものではないようです。そのことは弁栄聖者の生涯にわたるご事績からも推察せられるところであります。
今改めて光明主義の立場の意義を考えるとき、それはいくえにも重層立体的に広がり、ないし限りなき深みにおける展開が考えられるのであります。とりわけそれは「日本的霊性」という立場からにおいてです。そうした視点からみる時、光明主義は、
(1)浄土教即大乗仏教的霊性の完成
(2)弥生的霊性の完成
(3)縄文的霊性の完成
を含んで、日本的霊性の完成が考えられるのであります。
ところでこれら三者は日本文化のそれぞれの不可欠の三契機をなし、しかもそれらは重層立体的に重なり合い、決して相互に排除しあうのではなく、むしろ相い縁りながら、限りなくそれぞれに生かしあい、限りなく深まっていったのでした。
ここで(1)の「浄土教即大乗仏教」を弁栄聖者の用語にしたがって「大乗仏教的霊性」という言葉を使えば、光明主義は単なる浄土宗の変革にとどまるだけのものではなく、更に大乗仏教的霊性、弥生(稲作)的霊性、そして縄文的霊性等のそれぞれの完成が考えられます。
ところで「日本的霊性」という言葉をはじめて用いたのは鈴木大拙博士(1870-1966)でありました。彼は1944年(昭和19年)『日本的霊性』を出版しています(岩波書店)。しかしながら「霊性」という言葉自身は弁栄聖者がはるか以前から光明主義の根本用語として無尽に展開されていたところのものでした。しかしながら「日本的霊性」という言葉自体にはまた大拙博士なりのユニークさがあります。
いずれにしてもこの著書が刊行された1944年の頃は、まだ近代もさ中でした。近代は理性万能の時代でしたが、そうした中に「霊性」という言葉が輝き出したのでした。かかる「霊性」には理性万能の近代を突破する契機が含まれているのですが、当時はまだ多くの場合、その霊性の出現の意義に気づいてはいませんでした。
しかも日本的霊性といっても、大拙博士においては、その内容は必ずしも本当の日本的霊性にはなっておらず、大拙博士自身、その展開は鎌倉仏教という限定された立場にたっての展開にとどまるものでした。もちろんそれはそれですばらしい内容を構成していますが、彼の場合それはむしろ「鎌倉的霊性」といった方がより適切とも思われます。もちろんそこに「日本的霊性」の見事な開花がみられるのですが、しかしながら何といっても「日本的霊性」をその全体として見透す上からいって先述のように「大乗仏教的霊性」「弥生的霊性」「縄文的霊性」という三層における重層立体的構造において捉える時、日本的霊性の全体像から展望することが考えられます。そして弁栄聖者の光明主義はかかる三者のそれぞれにおける、そしてまたその全体の完成としての意味をもっていることが考えられるのであります。そしてもちろん大拙博士の日本的霊性をも包含してのその完成が考えられるのであります。以下はその論述であります。
1、光明主義は浄土教即大乗仏教的霊性の完成
さて浄土宗はそのままが大乗仏教そのものであって、決して大乗仏教の中の一宗派としての浄土宗にとどまるものではありません。そしてまさにそこで浄土教即大乗仏教的霊性を考えるところに光明主義の展開をみるのであります。
多くの人たちは大乗仏教の中の一宗派としての浄土宗を考えがちです。しかしながらそれは実は法然上人の真意からも遠ざかっています。むしろ真の浄土宗とは(A)大乗仏教の全体を包含しつつ、(B)その大乗仏教の全体を完成してゆくのであり、そこのところで単なる小浄土宗を脱して大浄土宗としての光明主義が自覚されてゆきます。
まず第一に(A)に関していえばすでに法然上人は御歳59才の折の『東大寺十問答』において、弟子重源の第一の質問に対して、
八宗九宗みないづれもわが宗(浄土宗)の中にをさめて、聖道浄土の二門とはわかつなり……
(『拾遺和語燈録』巻下所収)
と述べられ、そして更にその浄土宗の中に聖道浄土の二門があるのですから、必然的に聖道門も浄土宗に対立するものではなくその聖道門をも浄土門の中に包みこんでその聖道門が展開されてゆくとする趣旨が述べられているのであります。そしてその内容を100%展開されていったのが弁栄聖者なのでした。聖者においては一貫して念仏の実践が行じられつつ、そこに百パーセント禅の悟りの世界等も開かれていったのであります。
そして更にその(B)においてその浄土門が大乗仏教を完成してゆくのであり、そこに真の浄土門が光明主義と重なります。浄土門は浄土門として種々相が考えられますが、それは大乗仏教の完成に極まってゆくのであります。そのことはたとえば浄土宗にとって最も重要なテキストの一つとされている二祖鎮西(聖光)上人の『末代念仏授手印』という著書にもみることができます。その「袖書」と称せられる冒頭の文において、
究竟大乗浄土門……
という句が出てまいります。ふつう「究竟なる大乗」と究竟が大乗の形容詞としてよまれていますが、それは浄土門が大乗(仏教)を究竟(完成)してゆくからに他なりません。そしてまさにその点で浄土門が大乗仏教の単なる一派であることを超えて大乗仏教そのものの完成があるのであり、そしてまさにそこに浄土教即大乗仏教的霊性の完成の地平が開かれてゆくのであります。
なお「究竟大乗浄土門」の句は、二祖上人の御著に出てくる言葉ではありますが、このような句は法然上人でなくて誰が言えるでしょう。
なお現在の浄土宗が救済の眼目を「捨此往彼 蓮華化生」(此=穢土を捨てて彼の浄土に往く)───法然上人は『往生要集釈』において説かれています───を中心に説いていますが、そこには仏教伝来以前の古代日本人の信仰であった「他界信仰」と連なる面もあります。往生思想は他界信仰の止揚としても考えられるべきでありましょう。しかしながら多くの場合、折角の往生思想が他界信仰の中に埋没して往生そのものの真実が見え難くなっているということも云えなくはありません。
かつて柳田国男(1875-1962)はひとりの弟子に対して「日本は一見、仏教国になってしまっているが、実際は仏教伝来以前の原始信仰たる他界信仰と殆ど変る処はない」と云ったと伝えられていますが、他界信仰と往生思想とは改めて私たち一人ひとりの問題として取り上げなければならないでしょう。
ところで浄土宗が大乗仏教の完成であるとは、いかなる点で云えるのでしょうか。そのことは善導大師(613-681)の『往生礼讃偈』の中にもみることができます。すなわちその中の「日中礼讃偈」における、
到彼華開聞妙法 十地願行自然彰
(彼に到って華開き、妙法を聞けば、
十地の願行は自然に彰わる)
の文においてであります。ここで「到彼」とは往生のことに他なりませんが、まさにそこで十地の願行が彰われてくる、実現してゆくことを意味しています。そのような点から云って浄土教とは、
(A)浄土に往生する教え(必要条件)
(B)浄土による救済の完成を説く宗教(充分条件)
ということもできます。
『華厳経』(十地品)を拝読すると、その最初の歓喜地から第十地(法雲地)に至るまで一貫して菩薩道の実践が説かれ、更にはその一々の地においてくり返しくり返し念仏三昧の実践が説かれているのでありますが、それはまさしく、大乗仏教=浄土門の完成が説かれているのであります。それは弁栄聖者の霊性の立場の展開そのものを意味していますが、そこに浄土教即大乗仏教的霊性の完成としての光明主義の深意をみることができるのであります。
(つづく)
- 本論は平成24年5月、京都百萬遍知恩寺での「法の集い」における講述の内容を文章化したものです。 [↩]
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