名体不離について 光明修養会上首 河波 定昌 私たちは日常的には巷に流れる音や声の世界の中で生きています。しかしながらその音や声には私たちが想像する以上に心の奥底、否、宇宙の根源にまでかかわり、その音声の生じる根源は私た…
名体不離について 光明修養会上首 河波 定昌 私たちは日常的には巷に流れる音や声の世界の中で生きています。しかしながらその音や声には私たちが想像する以上に心の奥底、否、宇宙の根源にまでかかわり、その音声の生じる根源は私た…
中井常次郎著『乳房のひととせ』上巻より その2 ◇初夢 夢に俗夢と霊夢とある。意識眠って心が日頃親しめる境界に遊び、あさましき事、あるまじき事などを見るは俗夢にして、赤裸〈つつみかくしのない裸〉の自分を知る便となる。 …
農家に、 「あなたが田を耕したり種をまいたりする姿を見たことはないぞ。いったいあなたの鋤(田をたがやす道具)はどこにあるんだ? あなたの牛はどこにいるんだ? またあなたはいったいどんな種をまいているんだ?」 そのように問…
お釈迦さまが、インドのマガダ国という農業が盛んな国にいたときのお話です。お釈迦さまが手に鉢を持ち、家々をめぐり、食べ物をいただく托鉢という修行をしていました。 しかし、その時期はちょうど農家は、田を耕し、そして種をまく忙…
中井常次郎著『乳房のひととせ』上巻より その1 はしがき 弁栄上人に依って、みたま〈御霊〉の乳房を恵まれた自分は、西本願寺派の門徒、篤き信者の代々続く家庭に育てられた。父母が朝夕のみほとけへのおつとめに誘われ、としより…
お釈迦さまが王舎城の近く、竹林精舎というところにいたときのこと。そこに、バラモン教の僧侶の男がやってきました。どうやら、その男の家族が、バラモン教を捨てて、仏教の僧侶になったことに腹をたてているようです。 その男がお釈迦…
熊野好月著『さえられぬ光に遇いて』15 随行記(つづき) 寺内の方々の連日連夜の御看護のおつかれをしばらくでも代わらせて載きたく、早速お枕辺に侍する事になり、お念仏申し申しむくんでいるお足をおさすりしたり、氷のうをかえ…