弁栄聖者の俤(おもかげ)21

熊野好月著『さえられぬ光に遇いて』15

随行記(つづき)

 寺内の方々の連日連夜の御看護のおつかれをしばらくでも代わらせて載きたく、早速お枕辺に侍する事になり、お念仏申し申しむくんでいるお足をおさすりしたり、氷のうをかえたりさせて戴きました。腸出血のあと一日あまり絶食のあと慧月さんのつくられたマルツエキスというのを大変おいしいと召し上がり、折から東京からかけつけて御傍で看護しておられた小黒さんに「小黒さんこのマルツ汁というのは大変滋養になるそうだから、あなたのお子さんの弱いのにきっといいです。作り方を聞いて早速こしらえて上げなさい。」
 またしても人の上を案ぜらるるお上人様です。お熱の為か鼻腔がすっかりはれふさがって口でなさいますお息づかいはとても苦しそうでありました。それがうめき声のように大きく表の方まで聞こえる程で聞く人の胸をつきさすのでありました。室外は憂色にとざされておりますのに不思議一歩御病室に入れば、厳粛さの中に、何となく明るく安らかな気にならされてしまい、お元気な時にお側に侍する時と同じく心持も軽く明るくしていただくのでありました。お息がつまる為深い眠りもおとりになれず、うつらうつらとしてはお目覚めになりました。いつも讃歌のようなものを口ずさんで時々は手拍子をうって詩歌の様なものをおうたいになり、またしてもお側の人に御法話をなされ如来様の尊さを説ききかされます。これでは御疲れもあろうかと、「お上人様、お疲れになりますから、またよくおなりになってから伺います」と申し上げますと素直にうなずいておやめになりますが、またしても始まります。またと承る事の出来ぬ御説法を真剣に伺おうとしなかった愚かさよ。
 一切を大ミオヤ様に捧げられた御態度は、ゆったりとして傍の人のなすがままに好意をうけ入れ給うおやさしさ。いつ御容態を伺っても「大変楽になりましたありがとう」「昨日より楽です」とおっしゃいます。それが決して我慢なさってでもつくろってのお言葉でなく至って自然であります。きびすとお尻のところに床ずれが出来、赤くはれておりまして、常の人ならば周囲の人に訴えてあちこちとからだを動かされるのでありましょうに仰臥のままみごろぎも遊ばされず絶対安静を守りつづけておられました。やすみなれぬ体には中々出来ぬ事でございます。
 お息づかいのはげしさに、またしてもお伺いしますと、「いいえ大変楽です、魔があなた方の同情をひこうとして苦しそうに見せかけているのです。魔に同情してはいけません」笑って仰せになりました。ああ、ああとただ仏の御慈悲を咨嗟し讃嘆しては空中にむかって赫く御眼差しで合掌遊ばすのでありました。あわれ霊の眼の未だ開かぬ身は、みすがたを拝すべくもなくただ空中を共にふしおがむばかりでありました。腸出血のあと初めて便通を催されたらしく、皆のものに室を出ておるようにとの強いてのお言葉に次の間に下がりました。相かわらずの黒便で、前の残りであろうとの医者方のお言葉でありましたが、御病状は一進一退、それにつれて、一喜一憂の有様でありました。境内の大木を渡る木枯らしの音、時雨ふる一時、樋を打つ雨だれの音すべては鉛色の空と共に陰惨なかげに覆われて重くるしい気分に閉ざされます、ああその中にあって、お上人様のお室だけは何と平和な明るさ、泰然たる聖者の御姿よ、つね日頃がすでに臨終と同じ真剣さをもって処せられた聖者としては今更でもない事ではありましょうが、つくろいのないありのままそのままの一挙一動がのりをこえぬ自然さやわらかさ、今まで承ったどの御話にも優る大説法を身をもって示されたのであります。万一の事があれば一体どうなるでしょう。然し誰もが口にするもおそろしい事でこの思いがいわず語らず、胸の重くるしさでありました。二十九日いつまでも侍しておられぬ身の心をのこしつつお暇乞いし京都に帰りました。
 十二月三日「ショウニンキトク」翌四日「ショウニンセンゲ七ヒオクル」との悲報に接しました。理解ある校長先生は自分から「行って来てもよい」と仰って下さいましたが、もう行きたいとは思いませんでした。ただ泣けて泣けて、ひとり籠っては泣きくらしたのでありました。お上人様が如何に大きく在したか「恐らく全国の信者を一丸としても一人のお上人様であり得ない」。これが偽らぬその当時の感じでありました。
 お上人様の偉大さは超然として高く衆人の渇仰の的となっていらしたのでなく、丁度水のように、それぞれの器の中に入ってこれを満しつつしかも水の本性は失わぬところにあると思います。ある所では「弁栄さん、弁栄さん」とお婆さん達はお友達のように親しみ愚痴の打ち開け所とし、また子供など大変なついて離れようとしません。学者にはそれぞれの専門について質問をなされその人の説明をききつつ、いつの間にか法の糸のつながりが出来ています。全国幾万の人々が「わがお上人様」と慕いあがめ、各々の全部に満たされし感を与えられたのです。丁度幼な子の手にもすくわれる水、ある時は雲となって天翔り、ある時は水底に深く神秘を蔵する大海となり、形なき結晶として岩の中にも草木にもしみこんで、そのものの生命となっておる。千変万化無碍自在のすがたさながらの聖者の徳相は、申しても申しても申しつくせぬ感がいたすのでございます。
 聖者に取り残された「みなし子のさすらい」もかげに大悲のあやつらせ賜うものであった事は後になってわからせていただきました。
 その告白はあまり長くなりますので別の機会にゆずらせていただきます。

註1 マルツエキス
麦芽糖のゆるやかな発酵作用により腸の働きを促す便秘薬。また栄養補給にも役立つ。

註2 咨嗟
ためいきをついて嘆くこと(『広辞苑』)。

註3 超然
ある範囲をぬけ出ているようす。他とかけ離れて無関係であるようす。また、物事にこだわらないようす。俗事にとらわれないようす(『日本語大辞典』)。

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ひかり2012年09月号

ひかり9月号

ひかり9月号

弁栄聖者 今月の御道詠

ならくがに 久しくうけむ 苦しみを
すくひかへてぞ けふのいたつき

『御慈悲のたより』下

コンテンツ

05 光明会各会所年間行事
06 聖者の俤(おもかげ)其二十一 熊野 好月
08 光明主義と今を生きる女性 山本 サチ子
10 子供と一緒に学びましょう 31 →ルビ付PDF
12 名号の不思議 その2 河波 定昌
15 感動説話「出会い」 明千山人
16 光り輝く淨土への道64  山上 光俊
20 能生法話「分かる」 辻本 光信
21 大ミオヤの発見 その3 佐々木 有一
26 お袖をつかんで
「―第四歩〝すべてはうつろいゆくものなのに〟―」吉水 岳彦
28 ひかりの輪 光明学園 「ハワイ修学旅行」
31 図書案内
32 シリーズ会所探訪 南葵光明会の紹介
34 仏像ファッションと写仏 金田 隆栄
36 支部だより
46 特別会員及び賛助会員のお願い
47 財団レポート、清納報告、編集室より

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名号の不思議02

──超越即内在の動態(ダイナミズム)──

光明修養会上首 河波 定昌

名号はあらゆる人間のいとなみの中でも実に不思議の極みであります。副題に掲げた超越即内在(あるいは内在即超越)における殆ど死語ともなっている超越や内在といった言葉も私たちの一声一声の称名の中に生ける現実となってはたらき出してくるのであります。動態(ダイナミズム)とは、たとえば私たちの身体活動の生き生きとした様態等をあらわすもので、心臓から血液が脈拍となって働き出し、また自律神経が活動し、ホルモンの分泌が遂行せられてゆく等もダイナミズムそのものであります。超越という言葉も、また内在という言葉も宗教哲学的な学問用語として使用せられてきたのですが、日常性に埋没している私たちにとってはそれらはまさに死語に近いといえます。

しかしながらたとえば徳本上人のお歌、

  十万億、何遠からん
    一声ごとにいき通りなり

にもみられるように十万億(超越の阿弥陀経的表現)が一声ごとにい(往)き通い、またいき(息)通うように超越が身近なものとして(すなわち内在的に)受けとられてゆくのであります。徳本上人において称名念仏がまさに現実に超越即内在、内在即超越となっていたのであります。

そのことは念仏者の一人ひとりが一人ひとりなりに体験せられてゆくものであり、そしてそのことが一人ひとりの至宝とさえなってゆくのであります。

たとえば光明主義のお念仏のご縁に遇って念仏三昧の実践に徹していった跡見学園を創設した跡見花蹊女史にも、

  称うるも(内在) 我にはあらで み仏の
    み声(超越)と知るに 尊かりけり

の歌が残されています。そしてそれはその跡見女史を指導された田中木叉上人の「お慈悲の歌」にも見られます。すなわち、

  子を喚ぶ大悲の御声(超越)が
  称うる衆生の声となり(内在)
  南無阿弥陀仏とよぶ声に
  あらわれたまうご名号

のお歌にも直流しています。すなわち「南無阿弥陀仏」と喚ぶ私たち凡夫の内在的ないとなみにおいて名号の超越的なはたらきが全面的にいとなまれてゆくのであります。名号の神秘、名号の不思議さはまさにその点にあります。この名号を称すること自体における超越即内在の展開は仏教のみにおいてではなくキリスト教等を含めて、むしろ宗教それ自体に具わる秘儀として、いわゆる「名号の神秘主義」 Namensmystik としてみられるところであります。

その点では言葉を発することにより、その言葉の内容が実現してゆくとする呪術的世界とも連なるところもありますが──呪術と宗教との関係については先に(本誌4月号)述べました──、それが超越そのもののはたらきとして頂かれてゆくところに宗教の本来の展開がみられるのであります。かかる Namensmystik を革命的に展開されたのが法然上人でした。(『選択集』第三章)。

法然上人は名号の功徳として、「三身、四智、十力、四無畏等の一切の内証の功徳、相好、光明、説法、利生等の外用の功徳」がすべて阿弥陀仏の名号の中に摂在していると論じられているのであります。これらの功徳はすべて阿弥陀仏の本願(超越的はたらき)に由来しています。そしてその超越的な内容が称名する私たち一人ひとりの内容となって私たちの内奥から発動するのであります。すなわち超越が内在化し、超越がそのまま内在となってはたらくのであります。名号神秘主義 Namensmystik というほかはありません。

そこには一般的には超越的な名号の呪術化といった傾向もみられなくもないのですが、しかしながらより根源的ないとなみとしての本願のはたらきによって単なる呪術的な傾向は打ち破られて、そこに超越的世界の地平が開かれてゆくのであります。そしてその超越的内在の内容をより深く開示せられていったのが弁栄聖者でした。

たとえば『選択集』の中の、三身も四智等も、すべて阿弥陀仏の超越的な内容に他なりませんが、弁栄聖者においてはその超越の内容が私たちの内的根源から出現してゆくのであります。たとえばその中の四智とは、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智の四つですが、その中の大円鏡智とは阿弥陀仏の絶対智であり、またお浄土の世界の実体でもありますが、それが弁栄聖者のご道詠にもみられる私たち自身の内容として展開せられてゆくのであります。たとえば、

  阿弥陀仏を念う心のますかがみ
    限りなきまで照りわたるなり

(『道詠集』百ページ)

がそれであります。「ますかがみ」は「増鏡」で日本古来の伝統とも繋がりますが、しかしながらその「かがみ」が「かぎりなきまで照りわたるなり」とはまさしく大円鏡智そのものに他なりません。日本語の「わたる」には「遍」の意味があります。それは私たち一人ひとりの称名念仏において阿弥陀仏の内容としての超越にして遍在的な大円鏡智が私たち自身の根深い主体性そのものとなって展開せられてゆくのであります。
 禅宗の人たちは浄土門における「心の不在」を批判し、また実際、浄土門においても「捨此往彼 蓮華化生」等のみを説いて、充分に心の問題を展開することのなかった傾向も否めませんが、弁栄聖者のこのようなお歌においてすべては氷解してゆくのであります。また次のような聖者のお歌、すなわち、

  十万の億と説きしもまことには
    かぎりもしれぬ心なりけり

(『道詠集』一二七頁)

にも念仏門における心(根源主体性)の躍如たる展開がみられます。

また田中木叉上人にも露堂々と根源的主体性は実現していたのであり、そのことはたとえば、

  すき透り尽十方はただ光
    これぞ我かもこれ心かも

にもみることができます。

また称名に超越即内在のいとなみとして「外用の功徳」たる相好、光明等における相好のはたらきにもみることができます。すなわち称名の中の外用のはたらきの中の第一に相好のはたらきが挙げられているのであります。時として相好の立場は称名の実践の立場と対立的に考えられるむきもなくはありませんが、法然上人の『選択集』において相好の立場が称名のはたらきの一環として述べられている点は注目すべきであります。弁栄聖者の「七覚支」のお歌において「弥陀の身色紫金にて、円光徹照したまえる、端正無比のみ姿を、聖名を通して念おえよ」と詠われているように、相好のはたらきも法然上人の称名の立場において止揚 Aufheben されているのであります。止揚とは単なる否定ではなく、より高次の立場で躍動するのであります。すなわち称名は相好を否定するのではなく、称名念仏の中で阿弥陀仏の相好がおのずとはたらくのであります。『観無量寿経』も善導大師もその相好の徳を説いてやみません。称名の中に阿弥陀仏ご自身の外(私たち)に向かっての相好の化用がはたらくのであります。そしてその超越的ないとなみとして私の称名の中から、相好への感応道交がおのずと生起してゆくのであります。たとえば弁栄聖者のお歌「諸根悦豫讃」(三相の聖歌の第一)の中に、

  我がみ仏の慈悲の面
  朝日のかげに映ろいて
  照るみ姿を想おえば
  霊応極まりなかりけり

がみられますが、阿弥陀仏の外にはたらく外用の功徳の中の相好の功徳は私たちの構想力(これとても阿弥陀仏の超越的ないとなみ)と感応道交し Namensmystik が成就せしめらてゆくのであります。

それゆえ外用のはたらきも、また私たちの最奥底(内在)と呼応し、私たち一人ひとりの内から相好の功徳が展開されてゆくのであります。そこに人間形成の本質も考えられるでありましょう。

善導大師はそのところを『往生礼讃』において、

  観音頂戴冠中住
  種々妙相宝荘厳

ここで観音様とは念仏する私たちの原像ですが念仏する私たちの中から「種々妙相、宝をもって荘厳せらる」と高次の人間形成がいとなまれてゆくのであります。

(つづく)

カテゴリー: 上首法話, 月刊誌「ひかり」, 法話

欲求が先か、快楽が先か

動機づけにおけるドーパミンの役割

 長い間、中脳腹側被蓋野から前脳基底部に至るドーパミンニューロンの投射は、快楽報酬 hedonic reward, 別の言葉でいえば快感を伝えると信じられていた。摂食行動の場合,ドーパミンは味の良い食物に反応して放出され,摂食によって起こる感覚を快感とすると信じられていた。動物は前脳におけるドーパミンの放出という快楽報酬を求めて,口に合う食物を探し求めるように動機づけられると考えられていたのである。
 しかし,この単純な考えの正当性はここ数年考え直されている。ミシガン大学の Kent Berridge は,視床下部外側野を通るドーパミンの軸索を破壊すると,動物は摂食をやめはするが食物に対する快楽の反応 hedonic response は減らないことを発見した。そのような損傷を持ったラットの舌においしい食物を置くと,いまだに食物が食快感を引き起こすかのようにふるまい(ラットはあたかも舌つづみを打つようなふるまいをする),食物を食べつくしてしまう。ドーパミンを枯渇するように処理した動物は,食物が好きであるかのようにふるまうが,食べ物を欲しはしない。食べ物が手に入ればそれを楽しむかにみえるが,あきらかに食べ物を探そうという欲求を欠いている。

『神経科学』─脳の探求─ p406

カテゴリー: 勉強, 読書

お盆のお話

お盆といえば、お寺にお参りしたり、お墓にお参りしたり、お仏壇をしっかりとお参りをする日です。
この「お盆」という言葉はもともと「ウランバーナ」といって「つらい苦しみ」という意味なのです。
その「お盆」の由来はお釈迦さまの弟子、目連さまとそのお母さまとの物語からきています。

この目連さまは、お釈迦さまの弟子の中で、一番の超能力者としてたたえられていました。
たとえば、亡くなった人と会うことできたり、他人の心の中をよむことができたり、この世界に生まれてくる前のことがわかったりします。
その目連さま、ある時その超能力を使って、亡くなったお母さんが今どうしているか探してみると、なんと、餓鬼道という苦しみの世界にいました。身体はやせ細り、骨と皮だけのような姿です。
おどろいた目連さまは急いでご飯を準備しました。そのご飯をみたお母さんは、とても喜び、そのご飯に飛びつくようにして、食べようとしました。
すると、口に入れる前に、そのご飯は燃え、灰になってしまいます。お水を差し上げようとしても、沸騰してなくなってしまいます。目連さまはお母さんを助ける方法がわからず泣き叫んでいました。
そして、泣きながらお釈迦さまのもとに行き、お母さんを救う方法を教えて下さいとお願いをします。
するとお釈迦さま「あなたのお母さんは人であるとき、多くの罪を犯しました。そして、あれもほしい、これもほしいとむさぼりの心がとても強く、人に物をわける優しさがあまりなかった。だから、むさぼりの世界である餓鬼道に生まれ変わったのです。
そんなお母さんを救う方法が一つある。
七月十五日にたくさんのお坊さんが九十日間の修行を終えてやってくる。そのお坊さんに心をこめて、食事を供養すれば、お母さんだけでなく、親しき多くのものが救われるでしょう」
目連さまはそのお釈迦さまの教えの通りに準備しました。
そしてお釈迦さまは、お坊さんたちに言いました。
「この食事を頂く前に、目連の母が救われるように、
祈りの言葉を称えて下さい。そして、座禅をして、心を静めた後、この食事の供養を受けて下さい」
そのとおりにお坊さんは祈り、座禅をして、そして楽しく食事をいただきました。
その食事を供養した後、目連さまはすぐに、超能力を使って母のもとに行きました。
すると、お母さんはお釈迦さまの言うとおり、苦しみの世界から離れ、喜びの世界へと救われていました。
目連さまとお母さんはあまりに嬉しくて、抱き合いそして踊りました。
そんな二人の姿が今の盆踊りの始まりではないかと言う人もいます。
おしまい

目連尊者と母

「餓鬼草紙」平安時代(十二世紀)の作品(京都国立博物館蔵)

お盆のメッセージ
目連さまのようにお母さん、そしてお父さん、ご先祖さまを大切にしましょう。このお盆は、家族、そしてご先祖さまを特に大切にする期間です。
むさぼる生活をしていると苦しみの世界に行きますよ。反対に「どうぞ」と施す生活をすると、多くの親しき人が救われ、そして自分自身も救われ喜びの生活を過ごすことができますよ。

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弁栄聖者の俤(おもかげ)20

熊野好月著『さえられぬ光に遇いて』14

随行記(つづき)

 佐々木上人様や大谷象平様が引きつづきお供を遊ばしてかの長野での御いたましい御苦労もこの御旅の途中であったと承りました。
聖者かねてよくこのように仰せられました。
「人はこの世に生まれ出る時、如来様から、その人でなければならぬ特別の使命御用を授かって生まれて来る。しかしそれが何であるかは、しっかり封じられていて容易にわからない。早くそれがわかれば迷わずに目的に向かって進む事が出来るけれど、あれかこれかと暗中模索で苦しんでいる。中には今生で見出し得ぬ人もある。一心にお念仏申して早くその封をひらいて戴きまっしぐらに使命に精進せねばならぬ」
 ほんとうに酔生夢死の人生ではつまりません。愚者は愚者なりに何等かお役に立つべきであるので、人ばかりでなくすべてのものの本来の使命がわからぬばかりに、私共の周囲には何と無意義なものや不要と思わるるもの、廃物が充満している事でしょう。全く自分が幼稚で真に生かされておらぬから、物それぞれの本領を発揮させる事が出来ぬので、その事について「如来様は無駄なものは何一つお作りになっていない。いらぬもの無駄な事と見えるのは私たちの心の眼が育っていないからである」
と仰せられました。また、
「世に偶然だの奇蹟だという言葉があるが、それは凡夫の思う事で、眼の開けた人には偶然はない」とも仰せられていました。
 深い御体験からにじみ出たお言葉は、人の肺腑をもつらぬくもので、私共がどうする事も出来なかった、捕われの心、迷いの境界から、何でもなく解き放って下さる不思議の霊力があります。丁度母親が赤ん坊に堅い物を噛んでふくめるように、聖者は私共には歯も立たぬように思われた仏教の甚深なみ教えを如何にも身近な例を取って、やさしく味わわせて下さいます。
 私はかくも深い御恩に報い奉りたいと思いまして、この御恩報じの道は、一人でも多くこのみ教えを世に知らせる事である。然しとても力なきこの身の及ばぬ所、せめて身近な弟妹がこの姉の意を体してくれるようにと至心に祈りました。皆も一心に修業してくれ、まことにたのもしく思いました。然し時間と空間の制限の中にあって、己が心さえわが思うままにならぬものを、まして他を頼りあてにする事は如何に愚かしい事でしょう。自らの修業を怠っている身をおいましめ下さるのでした。
 お別れしたお上人様が北越で御病気と風の便りに耳にしましたのは十一月二十日頃でありました。ありがたい、なつかしいおじい様とも親とも慕いあこがれるお上人様が、寝耳に水の驚き、何かしらかりそめのそれとも思われぬ感じが夢となって、払いのけようもない重い心持に落ちこむのをどうする事も出来ませんでした。あのつやつやした、おからだのどこから病魔はつけ入ったのでしょう。もっとも夏の頃も信者の供養されたお薬を始終召し上っておりはしました時には多少のお熱もあったのですが、どんな時も一向気にせられず平生とかわらず病人らしくなく御活動を続けておられますので「お上人様のおからだは特別なのだろう」と大した事にも思っていませんでした。日頃の御無理が一時に出て来て、いやが上にもおからだを攻める事でしょう。お供しておられる谷安三さんからの報道は一度は一度と憂色深く、はては恒村先生招電が参ったのでありました。取るものも取りあえずかけつけられた先生のあとを追って中井先生も恒村夫人も行ってしまわれ、ひとりあとに残されて仕事も手につかず、ついに意を決して、理解ある校長先生のお許しをうけて北越線を走る身となったのは十一月二十五日でありました。この時程汽車を何とのろのろしておると思えた事はありません。気もそぞろに辿りつき、駅には佐々木上人などお出迎えになっており、私の外に各地から汽車の着く毎にたくさんの方々がかけつけられていまして、早速恒村先生に案内されて御病室に通されました。お上人様は純白のしとねに仰臥しておられ、氷のうをのせられた相かわらせられぬ額のつやつやしさ、しかしおひげなどのびて衰弱のかげはおいたわしく拝されました。ひれ伏す子等に、かたき合掌をもって答えられ、
「遠方の所をわざわざありがとう、心配かけてすまないです」と仰せられし勿体なさに張りつめていた気も一時にゆるみましたか溢れ出る涙をおさえ得ませんでした。来る人に一々御丁寧な御あいさつ、御高熱とあらいお息づかいの中から、常とかわらぬ御心づかい、かえって見舞いに来た人にいたわりの言葉や、御病人の様子などきかれていました。
 急を聞いてかけつけた信者の方々が本堂に庫裡に一ぱいあふれ、そのお顔は深い憂色に閉ざされていました。承れば昨夜腸出血があったとの事、容易ならぬ症状であります。
(つづく)

註1 酔生夢死
(酒に酔い夢を見て一生を終える意から)これといった仕事もせず、後世に何の記録も残さずに一生を終えること。何のなすところもなく、無意味に一生を送ること。
出典『日本語大辞典』

註2 味わわせる
「味あわせる」と表記されることもあるが、動詞「味わう」に助動詞「せる」がつく用法の場合は、「味わわせる」が正しい。

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ひかり2012年08月号

ひかり8月号

ひかり8月号

弁栄聖者 今月の御道詠

たのむべき 親のこころを よそにして
  おのれとなやむ ひとのはかなさ

『空外編 弁栄上人書簡集』

コンテンツ

05 光明会各会所年間行事
06 聖者の俤(おもかげ)其二十 熊野 好月
08 光明主義と今を生きる女性 山本 サチ子
10 子供と一緒に学びましょう 30 →ルビ付PDF
12 感動説話「如来の半眼」 明千山人
13 能生法話「父と子」 辻本 光信
14 光り輝く淨土への道63  山上 光俊
18 大ミオヤの発見 その2 佐々木 有一
22 お袖をつかんで
   「―第三歩〝正しさ〟に迷う―」吉水 岳彦

24 法のつどい報告
31 図書案内
32 シリーズ会所探訪 善光寺の紹介
34 薬膳料理 大谷 明美
36 仏像ファッションと写仏 金田 隆栄
38 支部だより
46 特別会員及び賛助会員のお願い
47 こちらひかり編集室

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ひかり2012年07月号

ひかり誌2012年07月号表紙

ひかり誌2012年07月号表紙

弁栄聖者 今月の御道詠

神聖の 聖旨はひとの 最と高き
 良心とは 現はれぞすれ

『ミオヤの光』

05 光明会各会所年間行事
06 聖者の俤(おもかげ)其十九 熊野 好月
08 光明主義と今を生きる女性 佐藤 蓮洋
10 子供と一緒に学びましょう 29
12 感動説話「山川草木悉有仏性」 明千山人
13 能生法話「苦情から見えてくるもの」 辻本 光信
14 光り輝く淨土への道62  山上 光俊
18 大ミオヤの発見 その1 佐々木 有一
24お袖をつかんで
  「―第二歩 支え合うご縁をつむぐ「支縁」―」吉水 岳彦
26 ひかりの輪 光明学園 「宿泊研修」
32 シリーズ会所探訪 親縁山九品院西蓮寺の紹介
34 仏像ファッションと写仏 金田 隆栄
36 支部だより
43 特別会員及び賛助会員のお願い
44 財団レポート
46 清納報告
47 こちらひかり編集室

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念仏生活の助け1

お経を読むこと

南無阿弥陀仏とお念仏をお称(とな)えすることは、私の力ではなく、阿弥陀様のもっとも勝れた力を頼りに救われていくものですから、本来他の難しい修行は必要ありません。
しかし、そんな強力なお念仏であっても、私たちがお念仏をお称えする生活にはいらなければ活きた信仰とはなりません。
お念仏そのものには助けは必要ありませんが、私たちが阿弥陀様に全てお任せしていけるようなお念仏の生活になるためには、さまざまな助けとなるものがあります。その1つが「お経を読むこと」です。
お経は理解することによってお念仏の助けになっていくのではなく、口にだして読むことによってお念仏の心を養っていきます。もちろんお経を理解することは少しも悪くはありません。しかし、お経を理解して仏教が分かった気になるのは傲慢な心です。
人と比べるとなるほど知識はあるのかもしれませんが、阿弥陀様に比べますと、雲泥の差です。
意味が分かっても、分からなくても、お経を読めばお念仏の心が育っていきます。このお念仏の心を育てることが人生の一大事です。
法要・法事の折には、是非一緒にお経の本をお読み下さい。

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弁栄聖者の俤(おもかげ)19

熊野好月著『さえられぬ光に遇いて』13

随行記(つづき)

後の百万遍知恩寺の御法主桑田寛随上人はその当時、知恩院の法教課長の要職にあられながら常に私共在家のものの集りにも御出席下され、礼儀もわきまえぬものをも寛容の心をもって御指導下さっておりましたが、いよいよその御主催のもとに、知恩院の勢至堂で別時三昧会が開かれる事になり、当時の御案内状。
  

祖山の御別時
 来る十月十六日より二十二日まで五日間、総本山知恩院勢至堂に於て山崎弁栄上人指導の下に別時行儀三昧会を修業致可候間参会御希望の御方は左記の各項御承知の上申込下され度この段御案内申上候也
大正九年九月 主催者 桑田寛随
一、道場の静粛を保つ為人員を制限致候間御望の方は十月五日迄に総本山知恩院事務所桑田寛随宛に御申込之有候事
二、以下略

 
何しろ主催者が有力なお方でありましたので本山あげての御接待振り、種々便宜をはかって下さいましたので、参加者一同心から感激した次第、全国の遠近より熱心な僧俗の参加を見たこの別時は実に未曽有のものでありました。聖者なきあとの結束の上にどんな大きな役目を演じた事でありましょう。時空を超えて無礙の光となり力となって大きな波紋をえがいたのでありました。

私は学校のつとめを持つ身、ひまを見ては知恩院にかけつけました。

お上人様は勢至堂の奥の庭に面した四畳敷の室をお控間となされ、例によって仏画の揮毫や人の応接に寸暇もあられませんでした。

元来信仰に縁遠かった私の一家は昨年来、お上人様のお徳によりまして父を初め、中学生の末弟まで御法話を拝聴し念仏を申すようになっていましたがただ一人、当時大阪に務めていました妹だけがまだ一度もお目にかかっていません。私は何とかしてこの度の御縁に逢わせたい。一目でもお上人様にお目にかからせたらと前々から再三手紙を出しましたが務の身の暇なきにかこつけて、一向帰ると申しません。

「姉さんのように単純に信仰する事の出来る人は幸せです。私も信仰の必要な事は認めますが、私は美の世界にもあこがれがあり科学や芸術にも引きつけられます。いずれは宗教に辿りつくべきではあっても、せっかく人間に生をうけてこの世のあらゆる方面を味わいきわめないのはあまりにも味気ない様に思います」云々

というように、私の単純さを笑うような意味にもとれる返事をよこしました。自分にはこの妹を言い説くべき力はない。聖者にさえお目にかかってくれたならば、妹の望んでいる事に矛盾する教えでなく、理解の早い事故、これこそ我がゆくべき道とわかってくれるであろうにと、ただ一心に祈りました。別時の日はずんずんすぎていきます。半ばあきらめておりました時、雪香殿の夜の席に、後の方にその姿を見出した時の嬉しさ、思わず合掌いたしました。早速、終ってからお上人様のお室に連れてまいり、御紹介いたしました。御挨拶の頭を下げてお言葉を戴くと見る内に何か感じましたか、頭もあげやらでハラハラと落涙いたしました。霊気に打たれたとでも申しましょうか、どちらかと申せば理智に勝った性質でありますものがこの態であります。実にこれこそ千載一遇の機会でありました。この時にお目にかからねば、永遠に御縁はなかったでしょう、聖者ならでは私達と同じ信仰に結びつかなかったでありましょう、私の一家は完全に御縁に結ばれました。最初にお目にかかった折に、どうかして家中にこのお光をと念じました事がここに果たされました。

お上人様の御身より放射される霊妙な光に化された結果の日頃の心のかきも取りのぞかれて、溶け合ったえもいわれぬ雰囲気は実にこの世の何ものにもたとえられぬ感じ、極楽さながらのゆたけき1心もちはとうてい筆や言葉で表し得ませんこの雰囲気に触れた方ならばきっとうなずかれる事でしょう。

意義深い祖廟の別時も盛大に終りました。お上人様は引きつづき東京へ向かわれ、信濃路を経て越後へおまわりの予定の由、私に東京から上諏訪を経て新潟までの延べ里数を調べるように命ぜられ(通し切符を買うため)そして仰せられるには、

「東京から高崎、上諏訪、松本、高田、柏崎、長岡、新潟などずっと連絡して光明会が催されるようになった」と大変およろこびになっていました。これが聖者最後の御旅程と知る由もない身は仰せのままに検べました。

(つづく)

  1. ゆたけき:「豊けき」。豊かですばらしい。広々としておおらかな。 []
カテゴリー: 弁栄聖者の俤, 月刊誌「ひかり」