──超越即内在の動態(ダイナミズム)── 光明修養会上首 河波 定昌 名号はあらゆる人間のいとなみの中でも実に不思議の極みであります。副題に掲げた超越即内在(あるいは内在即超越)における殆ど死語ともなっている超越や内在と…
──超越即内在の動態(ダイナミズム)── 光明修養会上首 河波 定昌 名号はあらゆる人間のいとなみの中でも実に不思議の極みであります。副題に掲げた超越即内在(あるいは内在即超越)における殆ど死語ともなっている超越や内在と…
お盆といえば、お寺にお参りしたり、お墓にお参りしたり、お仏壇をしっかりとお参りをする日です。 この「お盆」という言葉はもともと「ウランバーナ」といって「つらい苦しみ」という意味なのです。 その「お盆」の由来はお釈迦さまの…
熊野好月著『さえられぬ光に遇いて』14 随行記(つづき) 佐々木上人様や大谷象平様が引きつづきお供を遊ばしてかの長野での御いたましい御苦労もこの御旅の途中であったと承りました。 聖者かねてよくこのように仰せられました。…
熊野好月著『さえられぬ光に遇いて』13 随行記(つづき) 後の百万遍知恩寺の御法主桑田寛随上人はその当時、知恩院の法教課長の要職にあられながら常に私共在家のものの集りにも御出席下され、礼儀もわきまえぬものをも寛容の心をも…
ヒロくんとお父さんは食べものに困りスイカ畑へいきました。 そして、畑の通路のこかげにヒロくんをかくれさせ、 「いいか、だれか人がこないか、ここでちゃんと見張っているんだぞ」 そういうと、お父さんは畑の奥に入っていきました…
あるところに、お父さんと 小学生の息子「ヒロくん」の親子がいました。 親子はお寺に時々おまいりし、 手を合わせ「なむあみだぶつ」とお称えしたり、 仏教の歌を歌ったりするのが大好きです。 そのお父さん、悲しいことに、 いま…
熊野好月著『さえられぬ光に遇いて』12 随行記(つづき) いよいよ長らくの御随行も今宵限り、明日は恒村夫人のお供をして京都へ帰る事になりました。中井先生、松井様は山の別時がすむとまもなく先に帰京なさいました。朝夕御いつく…