──第1節 応声即現、そして同時(処・事)性へ──
「応声即現(おうしょうそくげん)」とは、すなわち「声に応じて阿弥陀仏が即現したまう」の意味である。このことばは善導大師が『観無量寿経疏』(定善義)の第七華座観に説かれている。詳しくは「弥陀、声に応じて即現して往生を証得することを明す」1である。
称名念仏の有り難さ、そしてまたその不思議さは、私たちが称える名号でありながら、そこに阿弥陀仏がその全体を挙げて現前したまうところにある。私たち自身は罪悪深重の凡夫で、非力の極みであるが、その私たちの阿弥陀仏のみ名を称える称名それ自体において、100%、阿弥陀仏はその全体を挙げて現前したまうのである。そしてこの称名において阿弥陀仏との一体化がなされてゆく点で、その称名とは名号の神秘主義 Namensmystik そのものである。すなわち私たちが名号を称えるそのところで私たち自身が阿弥陀仏自身になっているのである。
そのことは『観無量寿経』(第八像想観)における、
心に仏を想う(称える)時、〔中略〕是の心、仏と作る、この心、是れ仏なり。
の文に連なっている。
「応声即現」における「応」とは、私の声に即しつつ、そこに、その私の声をも超えた阿弥陀仏そのものがはたらき、全面的に阿弥陀仏の世界が開かれてゆくのである。
この「応」には甚深の意味が考えられるであろう。日本近代の哲学を代表する哲学者として、西田幾多郎(1870-1945)の名が挙げられる。最初はもっぱら禅の修行に終始していた彼であったが、彼の他力念仏との深い因縁もあって(彼は浄土真宗の盛んであった金沢の出身である)、最晩年になって浄土門への強い傾向がみられるようになる。そして彼の最後の論文となった「場所的論理と宗教的世界観」(『哲学論文集第七』所収)において神(阿弥陀仏)と人間との関係について「絶対矛盾的自己同一」の用語を用いて解明し、更に進んで「逆対応」の言葉をもってみずからの宗教体験の内容の表明を試みている。
すなわち「絶対矛盾的自己同一」とは、人間と神(阿弥陀仏)との関係において、まさに自らの罪悪深重の凡夫の故の断絶の意識──絶対矛盾的──に即して、阿弥陀仏との自己同一的な側面をみようとしていたのである。そこには法然上人や親鸞上人の罪悪の凡夫と「是心即仏」の禅の立場の重なり合いがみられ、また二十世紀の前半における圧倒的なバルト神学の顕著な影響もみられる。そしてそれ(矛盾)をも貫いて西田に阿弥陀仏との自己同一性の展開がみられるのである。そしてその「自己同一」をなおも汎神論的であると非難する田辺元(1885-1962)の批判を受けて西田は「逆対応」の言葉を創造して更なる自らの哲学を展開していったのである。
この「逆対応」には、その逆において阿弥陀仏と人間との関係の絶対矛盾が説かれつつ、その応において阿弥陀仏と人間との関係がどこまでも一つに連なる面の主張がみられるのである。そこには「即」から「応」へのダイナミックな展開を考えることができる。そしてまさにその「応」において善導大師における「応声即現」の「応」との出会いが開かれてゆくのが考えられるのである。
ここで西田は「逆対応」を論じるみずからの最後の論文において期せずして「応声即現」における「応」の世界に入っていったのである。そしてまたかかる「逆対応」の論理はおのずと浄土教(念仏)における中核的な論理ともなってゆく。そしてまた弁栄聖者の教えの眼目となる念仏三昧における「感応道交」において豊かな展開が遂げられてゆくことにもなる。(なお西田の「逆対応」の論理はその門下、高山岩男において「呼応の論理」として更なる展開がなされてゆくのであるが、その点については稿を改めて論じることとする。2)
ところで西田の「逆対応」の論理と結びつく「応声即現」は現実の時間空間に限定された世界に即して超時間的、超空間的世界を開いてゆく。そしてかかる「応」の世界に即して次のような三つの高次の世界が開かれてゆくことにもなるのであろう。すなわちその三とは、
1,同時性
2,同処性
3,同事性
の三つの世界である。とはいえそれらの三者は別々に存しているのではなく、それらは相互に不可分に重なりあって展開されているのである。以下はその説明である。
1,同時性
この同時性をキリスト教世界において主張したのはS・キェルケゴール(1813-1855)であった。彼も二千年の隔てを超えてイエス・キリスト自身との同時性に生きていたのであった。そこにはキリスト教と仏教という東西両宗教の相違を超えて、共通の根源的な真理の世界が開かれていたのである。そして光明主義そのものも単なる時間的、歴史的な変遷を超えてかかる超時間な次元に根ざす永遠の宗教なのである。
2,同処性
念仏する時、時間の隔てが超えられてゆくと共に、また空間的な隔ても超えられてゆく。「海山遠く隔てていても念仏する時、その人は源空(法然上人)に近し。」とは法然上人の趣意である。念仏する時、今や空間の隔たりは越えられて「倶会一処」(倶に一処に会す)──阿弥陀仏において同処的──となってゆくのである。
つゆの身はここかしこにてきえぬとも
こころはおなじ花のうてなぞ
は法然上人の御歌であるが、「おなじ花のうてな(台)ぞ」とは同処性の表出である。
この歌は法然上人の流罪の途中、九条兼実に対しての歌であるが、四国と京都との空間的な隔てを超えて、その同処性が歌われているのである。
3,同事性
「同一光明の中にあって、同名号を称え、同摂衆の護念を蒙る」(法然上人)。念仏の実践には、あらゆる差別が超えられて同事性が実現せられてゆく。阿波介の念仏も法然上人自身の念仏も称名自身において一つであり、そこには何ら優劣等の相違はないとの法然上人の強い主張(これは二祖鎮西上人の質問に答えられたもの『法然上人行状絵図』第十九巻)に同事性は現れている。
子を喚ぶ大悲の御声が
称うる衆生の声となり
南無阿弥陀仏とよぶ声に
あらわれたまうご名号
(田中木叉上人ご道詠)
以上「名号の不思議」完
- 『浄土宗全書』第2巻44頁b [↩]
- 高山岩男『場所的論理と呼応の原理』は、昭和51年11月に創文社より刊行されている。この著書の成立の因縁には、西田幾多郎と田辺元との激しい論争を経、それだけでは決着がつかず物別れになった感があるが、それらを改めて高山は呼応の論理で乗り越えようとしている点がみられる。そこには京都学派の新しい展開をみることもできる。たとえば彼は西田の絶対矛盾的自己同一性を「呼応的同一性」と考え、その場合、「呼応ということ以外に別個の同一性があるのではない。呼応が即ち呼応的同一性なのである」(同書69頁)と云って田辺の立場を批判的に超克している。その場合、彼はこの呼応の問題を人格的関係においてみていたのである。 [↩]
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