適用限界

一流の理論家というのは実に謙虚です。自分はこういう精緻な理論をつくった、しかしそれですべての事象が説明できるなんて考えていない。本物の理論家は、理論の適用限界をいつも意識しています。

週刊東洋経済 第6142号
長老の智慧 その1 理論と実験は科学の両輪 一流の理論家は限界を知る by 小柴昌俊

小柴昌俊先生は、東京大学の学術俯瞰講義においても同様のことを仰っていましたが、これはなにも科学だけではなく宗教においても重要な事であると思いました。
お寺にはさまざまな問題を抱えた人が相談にこられることがあります。しかしその方々の中には、お念仏や祈りでは解決できないものも多くあります。
福沢諭吉は、『学問のすすめ』において、

熱病に医師を招かずして念仏を申すは阿弥陀如来を信ずるがためなり。
中略
けだしこの人民は事物を信ずといえども、その信は偽を信ずる者なり。

として、誤った信仰を説いています。
これは極端な例としても、たとえば心の問題の場合は複雑です。
事実、心の置き所を阿弥陀様に定めることによって、物の見え方が変わってくるということは、宗教のもつ大きな力だと思います。事実それによって癒されていく人も多くいるのです。
しかし、

赤色鏡万物赤色を呈す

という言葉があります。これは物質的に鏡を赤色に染めることによって、そこにうつる世界は全て赤く染まって現れてくるということです。
こういったものの見え方は、物理的なものに起因しており、お念仏や祈りで変わってくるようなものではありません。
心は不可思議なものには変わりありませんが、脳という物質を縁としておこってくる側面があります。そういった物質的なものに起因する心の病というものも宗教者として無視できるものではありません。
無責任な法話によって、薬を飲むことによって回復する見込みがある方の病識(病気であることの認識)をなくしてしうことがあるかもしれません。
宗教者としてそのような事がないよう十分に注意し、お念仏や祈りの適用限界を見定める必要を強く感じました。

カテゴリー: 勉強, 読書

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