根源(アルケー)に還る  その1

今回は[※1]「根源に還る」のテーマでお話させていただきます。ここで根源とは万物の根源のことですが、また、同時に何よりも私自身にとっての根源でもあります。すなわち、私自身がそこから生まれ出た根源であります。

そのことを最初に問うたのはギリシアの哲学者タレス Thalēs(紀元前624、あるいは640~546)でした。それによってギリシアの思想は一変しました。そしてその根源(もとのもの、また始源ともいわれます)はアルケー archē とよばれていました。

このような万物、また私自身について考える場合、必然的にかかるアルケーへの思想が起こってきます。それまで雑然としていた考え方が、かかるアルケーによって宇宙を統一的に考えられるようになってゆくからです。このような思考を開始したのがタレスでした。

このような根源への問いには東洋も西洋もありません。私たち日本人もまたギリシア人たちと同じ立場に立っているのであり、どこまでも普遍的であります。

その同じ問題は弘法大師空海(774-835)においても発せられていました。弘法大師とタレスの間には1200年以上もの年代の差がありますが、その根源への問い、すなわち根源的な問いに変わるところはありません。弘法大師は『秘蔵宝鑰』)(鑰は鍵の意、如来の秘密の世界に入る宝の鑰の意)という書の中で、

生まれ生まれ生まれ生まれて、
生の始めに暗く、
死に死に死に死んで、
死の終りに冥し。
(『弘法大師著作全集』第1巻125頁)

と述べています。その背景には輪廻の思想があってのことでしょう。生まれるについても一回だけのことでなく、何度生まれてきても生まれてきたその生の始め、すなわちアルケーに暗く、また同様に何度死んでも死の終りに冥し、と云っているのであります。すなわち、未来永劫にわたって流転三界し、生の始まりに暗く、また死にゆく未来にも暗いことが述べられているのであります。それはまさに私自身にとっての生死の問題そのものであります。

かかる生死の問題には、西洋も東洋もなく、また過去も現在もありません。

二十世紀を代表するドイツの哲学者カール・ヤスパースKarl Jaspers(1883-1969)の比較的晩年に著した彼の宗教哲学の集大成ともいえる『啓示に対する哲学的信仰』という著書の結論的な部分で、

私がどこからwoherきたかということを私は知らない。

また、

私がどこへwohinゆくのかということも知らない。

と。すなわちヤスパースも弘法大師と同じ問いを発しているのであります。

そのことはまたヤスパースと並んで20世紀の最大の哲学者であったマルティン・ハイデッガーMartin Heidegger (1889-1976)もその同じ問題と対決しています。彼は『思惟とは何か』という著書の中で、思惟の根源性を問うているのですが、そこではもはや私が何を考えているか(すなわちcogito ─ デカルトの言葉)の次元を超えて、限りなくその思惟が深められてゆきます。この著書の名、すなわち『思惟とは何か』の原文は《Was heißt Denken?》であり、「何 was が私を呼んでいるのか」であります。それはたとえば私たちが念仏する時、勝手に(主観的に)念仏しているのではなく、阿弥陀仏から喚びかけられて、それが私たち一人ひとりの念仏になっているように、思惟も存在 Sein そのものによって喚びかけられて生起していることを意味しています。それはまさに縁起そのものであります。そこには近代ヨーロッパ人の抜き難い前提たる主観主義Subjektivismus(あるいは自我中心主義)からの脱却が遂行せられているのであります。そしてハイデッガーはその著の中で、もはや科学や従来の哲学を超えて一つの根底(あるいは基盤)につき当っているというのであります。その根底とは「私たちがそこから生まれ、そこへと死んでゆく基盤」と云っています。そして気がつけば私たち(すなわち西洋人たち)も実に最初からその基盤と相い対していた、と云っているのであります。まさにこのようにヨーロッパの最先端の哲学も生死の根源に立ち向かっているのであります。

ところで本題「根源に還る」において、私たちがそこから出て来た根源へ「還る」ことにおいて、その根源はそこへ向かってゆく目的(標)ともなります。そして根源が同時に目的(標)となる時、すなわち根源が目的と同一のものであると気づいた時、タレス以来のギリシア哲学は完結することになります。そしてそれを実現したのがプロティノPlotinos(204-269)でした。彼には弟子のポルピュリオスの筆記録である『エネアデス』Ennéades があり、その中で根源が目的 telos であると断ずることによってタレス以来、800年にわたるギリシア哲学は完結していったのであります。

なお山本空外上人の業績は難解なギリシア語で書かれた『エネアデス』を丹念に読まれて、それを『哲学体系構成の二途』としてまとめられたのでした。それが東京大学に提出した学位論文となったのです。そしてそのプロティノスの哲学が更にキリスト教と結びついて現在に至るまでのヨーロッパ文明の基幹となったのでした。 

ところでこの生まれた処(根源)が目的(すなわち帰趣)であるとする点で、故郷 Heimat あるいは「還る」という思想が成り立ちます。この「還る」という思想の喪失 Heimatlosigkeit は現在の根本的な病いともいえるもので、たとえばハイデッガーもその点で警鐘を鳴らしています。

すなわち彼は1959年、彼の生まれ故郷である南ドイツのメスキルヒという町で、その町長に招かれてGelassenheit(「放下」の題で邦訳されています)のタイトルで公開講演を行っているのですが、ここで彼は、

水素爆弾の危機が去った時、私たちはそれよりも更に恐るべき危機に直面することになる。すなわちそれは私たちが還ってゆく心の故郷(大地)を失っているということである。

と述べているのです。

東洋でも西洋でも、おしなべて「還る」という思想、すなわちそこからでてきたそこへ還るという円環的な思惟が消滅してしまっているということにもなるでしょう。ハイデッカーは科学的な計量的な思惟によって故郷への思惟が消滅してしまっていることを批判しているのであります。あるいはまたダーウィンの進化論やマルクスの唯物史観に見られるような直線的な歴史観もその原因になっているとも云えます。

田中木叉上人もこのような還る処のない迷盲の凡夫を「三界の宿無し犬」と云われていたこともあります。世にアナーキスト anarchist といわれる人たちにも、みずからの出来するアルケーなくしては考えられないにもかかわらず、アルケーがないa(n)arche(最初のaは否定の言葉)と称しているのですが、自己矛盾という他はありません。おしなべて彼らも結果的に生命の不安におののいてゆくのであります。

法然上人にとってもお浄土の世界は単なる「捨此往彼)」といわれるように、ただ往生してゆくだけの彼処ではなく、むしろそこに還ってゆく本来の故郷に他なりませんでした。そのことは法然上人の最も確実な資料とされる『醍醐本法然上人伝記』の中の「御臨終日記」の中の次のような一文、すなわち、

…看病の人の中にひとりの僧ありて、問いたてまつりて申すよう。極楽へは往生したまふべしやと申しければ、答えてのたまわく、われもと極楽にありし身なれば、さこそはあらんずらめとのたまひけり。
(『昭和新脩法然上人全集』871頁)

と述べられていることが記されています。

私たちがそこから生まれ出た根源アルケーが、同時にそこへ還ってゆく目的(テロス)と云ったプロティノスの「一者」to hen こそ実にそこから生まれ、そこへと還ってゆく阿弥陀仏に他なりません。空外上人の著作、『一者と阿弥陀』とはまさにその内容に他なりませんでした。かかるプロティノスの哲学はいわゆる新プラトン主義、あるいはプラトン主義 Platonism として西洋文化の根幹となっていったのですが、そのプロティノスの一者がそのまま阿弥陀仏と一つのものでした。かくて空外上人において東西を包含する阿弥陀仏(一者)の体系が開かれていったのであります。

(つづく)

  1. 本稿は平成25五年5月19日、京都百万遍知恩寺の「法のつどい」における講述に一部分加筆した内容です。 []
カテゴリー: 上首法話, 月刊誌「ひかり」, 法話

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