関東支部会員 佐々木 有一
四、仏力とは
仏と衆生とは、少なくとも仏教の初期においては両者は懸絶した関係にあると考えられ、仏とは不思議、不可思議の存在として仰ぎみられるものでした。人は仏(の教説)に導かれるもので、みずからはとても仏にはなれず、せめて声聞・縁覚を目指して自己の解脱を求める小乗仏教の時代です。仏の尊貴と畏敬を「仏(如来)の十号」をもって讃歎し、その徳と能力とは十力その他の「十八不共仏法」という仏特有の特徴として表現されました。
如来の十号とは如来(真理の体現者)、応供(阿羅漢)、正遍知(正等覚者)、明行足(知と行とを兼備する者)、善逝(幸福を得た人)、世間解(世間のことを知悉している者)、無上士(最上の人間)、調御丈夫(人間を調教する者)、天人師(神々と人間との教師、人天の大導師)、仏・世尊という十の称号です(高崎直道『仏教入門』)。もともとはお釈迦様への敬称として生まれましたが次第に他の仏格にも使われるようになります。たとえば法華経では日月灯明如来に対してこの十号がすべて用いられています。
「不共」とは仏だけに特有で人間など衆生とは共有しないという意味です。一般には十八か条の不共仏法で説明されます。仏は煎じつめれば智慧と慈悲の二つに帰着しますがそれを十八に開いて仏の徳と能力を讃め称えます。十力、四無畏、三念住、大悲の十八です。龍樹は飛行自在、変化無量、聞声自在などを加えて四十か条も列挙していますが(第21章から第23章まで)今は省略します。
龍樹の「仏力」は直接には仏の十力のことを指すとみられ、第二章の「入初地品」で十力を略説し、第23章で詳述すると共に次のように説き起こしています。
仏の十力とは、力は扶助に名づく。…十の名ありといえども実には一智なり。十事を縁ずるが故に名づけて十力と為す。仏智は一切の事を縁ずる故に、まさに無量の力あるべし。この十力をもって衆生を度するに足るゆえに、ただ十力を説く。
こうして初力から第十力までを説くのですが、その内容は一般にいわれるアビダルマの十力の説明を踏襲しているように思われますので、辞典(法蔵館『仏教学辞典』)から簡潔な解説を引いておきます。以下の解説にはすべて冒頭に「如実に」という言葉がかぶされています。
- すべての理と非理とを知る力(処非処智力)
- 三世の業とその報いとの因果関係を知る力(業異熟智力)
- すべての禅定や三昧の順次や浅深を知る力(静慮解脱等持等至智力)
- 衆生の能力や性質の勝劣などを知る力(根上下智力)
- 衆生の了解断定を知る力(種種勝解智力)
- 衆生の素性素質やその行為などを知る力(種種界智力)
- 人天などの諸々の世界に趣く行の因果を知る力(遍趣行智力)
- 過去世の種々の事を憶いだし知悉する力(宿住随念智力)
- 天眼をもって衆生の死生の時や未来生の善悪の世界を知る力(死生智力)
- みずからすべての煩悩が尽きて次の生存(後有)を受けないことを知り、また他のものが煩悩を断つのを誤らずに知る力(漏尽智力)
要するにこれらの十力の体は智慧で、仏が全智者であることを示しており、十の智慧のはたらきはさまたげられることはないのです。
四無畏とは仏が説法をするに際して次の四つの畏れをもたないことです。
一には自分は正等覚を得たもので現象界(苦の世界)のあらゆることを知っていると明言すること(正等覚無畏)。二には自分は煩悩をすべて断じていると明言すること(漏永尽無畏)。三には自分は煩悩について他に説き教えること(説障法無畏)。四には自分は弟子たちに出離の道を説き教えること(説出道無畏)、この四つです。かくして仏はゆるぎない自信をもって雄弁に獅子吼することができるとされます。このようなことの確認は、覚ってもいないのに覚ったと公言すれば「大妄語」となり「波羅夷」の罪に問われ教団を追放されるという、衆生における戒の定めを考えますと、十力自在の仏ならではの特徴を際立たせているようです。この四無畏は仏の徳性でありますが、よく似た発音に「施無畏」というのがあります。何ものにも畏れない力を与えることですが、仏像の印相にも「施無畏印」があります。阿弥陀仏などの仏像をみるとき、「定印」(坐像で両腕を膝の上に乗せて組む)、「説法印」(両腕を胸前に掲げる)とならんで「来迎印」があります。これは右手の臂から先を上に上げ、掌を外に向ける施無畏印と左手を下に下げる与願印との組み合わせで、ちょうど上品下生の形になります。この場合の施無畏はいうまでもなく仏から衆生に与えられる力です。そういえば菩薩の布施の修行にも無畏施がありました。
三念住も仏が説法をするに当り、次の三つの場合のいずれでも仏は正念正智の心に安住していることを示します。説法の聴き手が仏を信じてもとくに喜びの心を生じないし、逆に信じなくても憂えることもなく、ある人は信じある人は信じない場合でも仏は喜びも憂いも生じないということです(以上、主として中村元『仏教語大辞典』)。四無畏といい、三念住といいますのも、インド式綿密論法の一端をかいま見る思いがいたします。
大悲は仏が大智なればこその衆生への慈悲の心です。特定の対象への執着なき平等無差別、いわゆる無縁の慈悲であり、同体大悲の愛であります。
しかし時代と共に、自己の救済だけでなく他者への思い、眼差しが目覚めますと、衆生みずからも成仏して他者の幸せにはたらきかけ、慈悲の心を及ぼすことが願われるようになり、やがて大乗仏教が興起します。仏の力を受けてみずから成仏し、他者の救済に勤しむ思想の誕生です。大乗仏教は仏と人とのあいだを近づけることにもなったわけです。
大乗仏教はいくたの変遷を経て発達進展していきますが、その大きな流れがいうまでもなく浄土門の教えであります。いま仏の力として十力、四無畏などを一瞥しましたが、それがどのように浄土教の中に通入しているのでしょうか。
十力や四無畏といえば法然上人の「名号の功徳」を想起せざるをえません。少し脱線しますがそこに至る経路を振り返っておきたいと思います。法然上人が「偏依善導」と仰がれて、教学の根本に据えられた善導大師(613~681)の教えがあります。主著『観経疏』においてみずから「古今を楷定」(古今の説の誤りを訂正)するとまで踏み込んだ一点はおそらく「念声是一」の教義ではないかと思います。
望月信亨著『略述浄土教理史』などによれば世親(天親とも、インド、400~480頃、一説に320~400頃)の『往生論』では身業としての礼拝、口業としての讃歎、意業としての作願(止観の法としての止)と観察(止観の法としての観)、加えるに回向の五念門を立てていますが、やはり憶念、観相の念仏が本来のものと考えられています。讃歎のために阿弥陀仏の名を称えることがありますが、往生の行として称名することとは根本的に違うものです。しかし善導は新たに五種正行をたて(「観経散善義」上品上生段)、その中で「称名」を別出して、しかもこれをもっとも重んじて正行中の「正定之業」と位置づけ、他の「読誦・観察・礼拝・讃歎供養」の四種を助業と判じたのであります。無量寿経の第十八願の「乃至十念」の句を『往生礼讃』や『観念法門』で「下至十声」と置き換えており、さらに法然上人の浄土宗立教開宗の一文として知られる「一心専念弥陀名号…順彼仏願故」(「観経疏」同上」)の文も弥陀の名号を中心においています。
これらのことから善導は本願の十念を憶念とも観念(観相)とも解釈することなく、それは十声称仏のことであると明確に断定したことがわかります。望月博士は「善導が十声称仏こそ本願の行と見込まれたとき、そこに非常の信念と大なる力が起こった」のであると同感しておられます。観無量寿経の下品下生について説く、
汝もし念ずることあたわずんばまさに無量寿仏と称すべし。かくの如く至心に声をして絶えざらしめ十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するが故に念々のなかに八十億劫の生死の罪を除く
が念声是一の教証であります。また、龍樹の易行品に称名を本願の行とする趣旨が明記されていることにも依拠していると考えられます。
このような念声是一へと進む浄土教発展の流れに立って、法然上人は選択本願の称名念仏を確立されたのであります(『選択集』三章段)。「念仏はこれ勝、余行はこれ劣なり」としてその理由を、
名号はこれ万徳の帰するところなり。弥陀一仏のあらゆる四智・三身・十力・四無畏等の一切の内証の功徳、相好・光明・説法・利生等の外用の功徳、皆ことごとく阿弥陀仏の名号の中に摂在せり。故に名号の功徳、最も勝とす
と確認します。念のためですがここに四智、三身とは大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智の四智、法身・報身・応身の三身であることはいうまでもありません。
名号はいわゆる個々の功徳を並べる別相でなく、すべてを含む総相であると明かされました。その名号を称する念仏が最勝の行となるわけです。名号の総合性に着目するとき、名号は仏の功徳をあらわす最勝のものであり、またその故に称名はだれでもが実践できる最易の行でもあり、仏の前の万人平等を象徴することになるでしょう。
仏とはそもそも智慧の現われであり、その智慧から大悲が自発して智慈不可分であります。その故にこそ仏の力は総合的であり、その総合力が文字通り一点に集約されて衆生とのつながりを開くものが名号であるといわねばなりません。仏力は名号に尽くされているといっても過言ではないと思うのです。
弁栄聖者の光明主義はややもすると憶念主義、見仏主義とみなされがちでありますが、決してそのような面に偏ったものではありません。詳しくは拙稿「大ミオヤの発見――新しい公理をたてた弁栄聖者」にゆずりますが、いまは「弁栄聖者御垂示」としてしられる一文の骨子を掲げるにとどめます。この御垂示の始めに「唯絶対無限光寿」と本仏としての阿弥陀仏に呼びかけます。この点も弁栄聖者の教えの重要なポイントですが、今は措きます。
…弥陀の聖名を崇び 聖意を仰ぎ それに帰せんが為に 意に弥陀の身を憶念し 口に弥陀を称え 身に弥陀の行動を実現す…仏を念ずる外に仏に成る道ぞなし…
念声相俟って自利利他の菩薩道を期するもので、名号の力は光明主義においても法然上人の力説となんら変わることなく継承されています。法然上人が名号に籠められた阿弥陀仏の万徳を十二光に開いて浄土門を広開されたのが弁栄聖者といえるでしょう。念声是一を主張し称名を重んじられた善導大師も法然上人も、さらには弁栄聖者も共に、実には三昧発得の聖者であったことが重要です。称名念仏を恭敬・無余・無間・長時の四修の心で相続すれば、そこにおのずから弥陀の仏身を憶念する心がはたらき出すというのが真相ではないでしょうか。この辺のところはなかなかに微妙でありますが、念声相俟つ、これが真実ではないかと思います。憶念念仏が定善の観相念仏と異ならない三昧にいたることを経験的に実証されたこれらお三方が、入り口を示してやがて必ず深奥に進ませ至らせる大なる洞察と慈悲心によって、共に称名念仏の実修を宣揚督励せられたのではないかと思えてくるのです。あたかも龍樹が易行品を示して多くの衆生に済度の手を差しのべた如くに、であります。先に善導が十声の念仏を弥陀の本願の行と見込まれたとき、望月博士は、そこに「非常の信念と大なる力が起こった」と評されたことは、念声不二の微妙な雰囲気の確信と慈悲の心の双方を示唆されたといえるかもしれません。
(つづく)
コメントを残す