安産祈願に込められた真実の願い
大願寺の本尊は、「腹帯の阿弥陀如来」です。大願寺を創建された浄土宗2祖聖光上人は、生後まもなく母と死別しており、自分のような悲しい思いをすることがないようにとの念(おも)いを込めて作られたと伝えられています。そのような由来から安産の仏様としても信仰されてきました。 しかしもっと深く見ていきましょう。聖光上人は『西宗要』(せいじゅうよう)というお書物の中で、
お念仏の志がある人は、仏の子です。そして仏は母のようなものなのです。子が母を敬うように、お念仏の志がある人もまた、母のように仏を敬うのです。子が母を信じるように、お念仏の志がある人もまた、仏を信じるのです。そして孝行の子が、親に孝を尽くすように、お念仏の志ある人というのは常に仏を念じて仏に孝を尽くしていくのです。(意訳)
と述べられています。 つまり、聖光上人は、阿弥陀様を母のように敬いお念仏されていたのです。そのように思ってみると、「腹帯」に込められた本当の思いが伝わってきます。それはどんなに辛いことがあろうとも、阿弥陀様は母のように私たちを守って下さる。だから私たちもまた阿弥陀様を母のように敬いお慕いしながらお念仏してもらいたい。その思いにひっぱられて、肉体のあるうちは心が生まれかわり、肉体を失えば極楽世界に生まれることができる。 大願寺の阿弥陀様の腹帯は、実は、私たちが阿弥陀様に護られて心安からに、極楽に生(産)まれるためのものだったのです。
夢さめて はじめて抱くと 思うなよ
宵より守る 母の手枕