千手観音の不動智
千手観音だとて、手が千本おありになりますが、もし、弓を持っている一つの手に心がとらわれてしまえば、残りの九百九十九の手は、どれも役にはたちますまい。一つの所に心を止めないからこそ、千本の手が皆、役に立つのです。
いかに観音とはいえ、どうして一つの身体に千本もの手を持っておられるのかといえば、不動智を身につけることができれば、たとえ身体に千本の手があったとしても、立派に使いこなせるのだということを人々に示すために作られた姿なのです。
不動智神妙録 (現代人の古典シリーズ 7)
沢庵 宗彭 (著), 池田 諭 (翻訳) より
善導大師の『往生礼讃』には「観音菩薩」の徳を「恒舒百億光王手」と讃えています。沢庵和尚の解釈は、なるほどと思う反面、はやりどんな人でも救おうとされて百億の光り輝く手を差し伸べておられる観音菩薩こそ慈愛に満ちたお姿のように感じるのではないでしょうか。
そのように考えると、確かに不動智といのは、多くの衆生を救うための根拠にはなる智慧ではありますが、観音菩薩の偉大さは、どこまでも大慈悲にあるように感じられるのです。
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